さて新しいクリニックもスタートしたことであるし、私は一人のジャイアンとして自己を振り返る作業に戻ろう。 私はADHDは個体認識の学習障害であると考えている。特定の名前を持った「**さんとの関係」という関係自体を認識できない。(顔や名前を覚えられないのはその一部だ)。 「無差別、平等、公平、偏見が無い」という特徴はADHDのむしろ良い面であるが、実はこれは「個体認識が出来ないから抽象的な人間対人間の関係になる」というまさに障害そのものの結果なのだ。 私は以前「ジャイアンは人を必要としない」と書いた。実際例えば「筏に乗っていて川下に滝があることを教えられるのを拒否する」ような自己決定権への強いこだわりがあり、逆に変に「人を必要とする」時は病的な依存になっていることの方が多い。 それから私はずっと、ではADHDは「世界にぽつんとただ一人」で他者との関わりの意味は全く無いのか?、他者との関わりの中
自己コーチングガイド各論② ADHDの自己理解そのE (刺激を求める) E.ADHDの「刺激を求める」脳の特徴を理解する。 多数派は どんな対象に対しても、適当なときにある物事への注意集中を開始し、適当なときに切り上げ、また適当なときに再開することについて、まんべんなくコントロールが容易にできる。 逆に、あることに集中していても、いつでも切り上げられるように「脳の全体を使う」というような集中の状態にはならず、常に日常生活全体の中で「バランスよく」集中の状態がコントロールされる。 パソコンで言えば「システム全体を調整するプログラムが常駐して、一つ一つのタスクを適宜コントロールしている」というイメージとなる。 これに対しADHDは、注意集中も突然途切れたり、飛躍したり、時には集中しすぎて他のことが全く出来なくなったりと、脳の働き全体の調整機能がうまく働かない。 その結果「いくつものタスクがバラ
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