強すぎる「いい人」欲求は自分の人生を追い詰める 私は2つの会社を経営していますが、いずれの会社もオフィスはもたず、従業員も雇わず、提携と外注だけで事業を運営しています。物理的にいらないということもあるのですが、「自由」な生き方をしたい、という思いが強いからでもあります。 自由とは何かというと、私は「物理的自由」と「精神的自由」とで構成されていると考えています。 物理的自由とは、「複数の選択肢から選べること」。複数の選択肢を得るためのひとつの方法は、おカネを稼ぐ力を高めることです。そういう意味もあり、私はこれまでもおカネに関する書籍をいくつか書いてきました。 そしてもうひとつの大切な要素が「精神的自由」です。これは「自分の感情が、他人からの影響や制約を受けないこと」を意味します。 精神的自由を得るためのひとつの方法が「いい人」をやめることです。いい人とは、他人の目を気にして、人から嫌われない
ジャイアンの脳は本来「責任を取りたくない」性質を持つ。 責任を負うと、うまく行かなかった時に自己突っ込みをしなければならず、また、失敗のときに他者から攻撃されても反論できない。 だから、(責任を負っていたとしても同じだが)「うまく行かなかった時だけ人のせいにする」という特有のみっともない行動パターンとなる。 と言いながら、「仕切る」ことは好きなので、ああしろこうしろと口だけ出したりする。うまく行ったときは自分の功績にして自慢したがったりもする。 自分の子供でさえ、ジャイアンは当たり前の親としての責任を自覚しない。極端には「問題」がなくなると忘れてしまったりする。自分が不安にならないことのほうが優先するので、パートナーでも施設でも、出来ることなら「丸投げ」したいと考え、実際丸投げすることも多い。 他者の責任逃れには異常に厳しいのに、自分が丸投げしていることについては無頓着で、問題に気づきさえ
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