例えばジャイアンが受動型ASを「利用」したとする。それを受動型ASが「必要とされている」と勘違いするという問題がある。この問題はもしかすると普遍的に起こり続けている大問題のような気がするので、細かく検討しておこう。 前回詳述したように、ジャイアン側からは、ジャイアンとして自己責任たるべきことを丸投げして後から合理的な自己突っ込みが生じなければ「利用」で問題ない。これは比較的はっきりしている。 受動型ASの場合は、本来「利用」は自覚的にはすることもされることも嫌うが、相手によって「利用」に反応する場合と反応しない場合がある。 A.愛着の対象の場合、「利用」と分かると傷つく。単なる「利用」だった場合、「必要」であるかどうかを確認せざるを得なくなる。「利用に過ぎない」状況証拠の一つでもあったら最後、受動型ASから「私のことは必要ではないの?」という主に非言語的な「試し行動」が繰り返されジャイアン