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利用と衝撃的と相互依存に関するdaisukeeHTNのブックマーク (2)

  • 「利用」の意味 | 意味不明なヒトビト

    「利用」という言葉は依存系(ASやAC、依存型ジャイアンなど)の人には大きな抵抗があるようだが、ACから回復して依存に走ることも辞めた来のジャイアンには実に「自然」ですっきりした表現だ。 私は「利用の何処がいけないか?」と平気で言っているのだが、その説明を試みよう。 さて前回までの続きで、生きるか死ぬかの「尊厳」の世界では、表面的な「配慮」とか二面的な「フォロー」などが全て無意味になる。人の意志を尊重するか、無視するかのギリギリの選択しかない。 「利他」とは何かを突き詰めて考えれば、「自分で考えた相手のため」というのは悉く「自己満足」でしかありえず、特にASの場合にはどう転んでも「親切の押し売り」的な「支配」にしかならない。(ASはよほど苦労した人で無い限り「自分のやっていることが自己満足で過ぎないのでははないか?」という疑問自体考えないだろうが) 自己満足を全て去ろうと考えると、最後

    「利用」の意味 | 意味不明なヒトビト
    daisukeeHTN
    daisukeeHTN 2016/10/11
    "依存系の人には大きな抵抗があるようだが" "「利用されることを喜んで選択する」...その代わり相手を利用もする" "別の表現をかぶせる意味があるのだろうか?" "責任をあいまいにしたり、実は支配的な押し付け..."
  • 共存の可能性 | 意味不明なヒトビト

    いろいろな角度からASとジャイアンの共存の可能性を最近考えてきて、何となくポイントが見えてきた。 共存の障害① 根的な思考のあり方 ジャイアンはASの、「自分が多数派側に立つ」「自分の考えは一般的普遍的である」というような思考を、激しく独断的(「井戸の中」と呼びうる)と認識する。「何の根拠があってそう言えるのか?」、「あなたは神様か?」という不合理さへの反発とともに、「中心の方向から蔑まれている」という激しい反発が起こることは避けられない。(ただしこれはASが徹底的に合理的な環境で鍛えられた場合には例外は生じうると私は思う)。 共存の障害② 表現方法 ジャイアンはASの「非言語的な表現」に過剰反応する。ここのコメントの中でもmario氏の主張に対して、ネット上の言葉での書き込みであるにも拘らず、「その言葉の背景に感じられる思考の前提」や「ちょっと漏らした音的なためらいの感情」などの部分

    共存の可能性 | 意味不明なヒトビト
    daisukeeHTN
    daisukeeHTN 2016/08/24
    "ASは「必要とし、必要とされる」という情緒的な依存関係を(少なくとも非言語的な部分では)どうしても求める" "ジャイアンは「必要」という言葉で現されるような(依存)関係を必要としない(だけでなく有害でさえある
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