ジャイアンは人を必要としない。が、「尊敬」や「利用」、「相互利用」はある。これらは基本的に情緒的ではない。 それ以外の情緒が関わる関係は、露骨な依存の他には、本質が「見下し」である「可愛そう」や、同じく「見下し」を含む「面倒を見てあげたい」など、基本的に有害な共依存関係につながるものしかないと今のところ私は考えている。 ただこれらのいずれも、結局「特定の誰か」を志向することは無い。ブランドを失えば尊敬は出来ないし、見下せれば(自分の上に立とうとしなければ)相手は誰でも良い。 ではジャイアンは孤独で寂しい人生を送るしかないのか? 否である。自分の意志で、自分の責任で特定の相手を「選択」すれば良い。私は「ADHDは恋愛は出来ないけれども結婚は出来る」と説明することにしているが、自分の責任で特定の人をパートナーにすると「選択」すれば、特定の相手との関係を作ることは可能だと私は思う。 逆に、恋愛感