まずHSPなら他者の痛みにも敏感なはずだから、HSPであろうと病気であろうと男性に関わらず人に対して失礼なことをしてはいけないということを学んだ方がいいよ。単なる自意識過剰で非常識なやつ。
ブログネタ:アスペルガー症候群 に参加中! さて、前回、 「アスペルガーは言い訳ばかりする」と判断される要因を3つ書いた。 下記3点である。 ================================================= 【1】非難を、質問文の形式にしてしまっている 【2】「普通」「常識」といった義務では無いもの(暗黙的ルール)を、 事前説明無しに要求している 【3】何故か「虚偽の報告」であると決めつけている ================================================= 今回は、4つ目の理由について記載したいと思う。 そして、この4つ目の理由こそが、 言い訳を多発させている要因ではないかと、個人的に推測している。 【4】「悪い」の判定基準が異なる 仕事の場合で考えてみる。 定型発達者とアスペルガー患者では、仕事における「悪い」が、
アスペルガー症候群だからって言い訳してしまうとそこで成長って止まってしまうと思いません? 私は自分がアスペルガーだと知らずに大人になってしまいましたが、知ったからこそ出来ない事を一つでも多く知り改善したいと考えています。 出来るか出来ないかは難しい問題ですが、アスペルガーだから出来ないという言い訳をしたくないんですよね。しかしこの障害があるから仕方が無い事も沢山あります。こればかりは解決しない(汗) 自閉症スペクトラムは相手の気持ちが理解出来ないと言いますが、これは頑張ってもかなり難しい問題です。 興味が持てないから理解出来ないのかもしれませんが、自分の考え方と相手の考え方に相違があると受け入れがたいのです。 しかし受け入れたくない訳ではないので理由を聞いたり話し合ったりと歩み寄る事はしています。 それでも相手の気持ちが鮮明に見えてこないと理解が出来ないのですが。。。 発達障害は冷たいとも
ジャイアン(自己正当化型ADHD)の不思議な(理解されにくい)発想に、「自分が躓いたのはこんなところに石があるからだ」というものがある。「誰が置いた!」と逆切れするのは珍しくない現象だ。 私は最初はこれは「人のせいにしている」ということだと理解していた。しかし最近になって、実は「実際にそう見えている」という認知障害と考えるべきであると考えるようになった。 つまり、「本当に表面的な現象しか見えない」「自分が能動的に歩いていたとか、発見できなかったということは全く思い浮かばない」ということだと今は考えている。 「石があった」→「躓いた」ということだけが頭にあり、それ以上に想像は全く広がらないから、「石が悪い」ということになるわけだ。 対人関係の場合には、「ただ相手が怒っている」ということだけが見えて、その原因にまでは全く想像が届かないので、とりあえず機嫌取りで相手をなだめるという発想しか浮かば
最近の考察を受動型ASの本人から見た場合で考えてみた。 受動型ASの本人が理解するべきことは、以下の通り。 1.「誰かが本人を理解することも、本人を大事にすることも、100パーセントを求めることは出来ない」という単純な当たり前の真実を認める。 2.親でも。親友でも、パートナーでも同じである。「100パーセントを目指して努力し続ける」ことは出来るが、結果として「100パーセントの理解が成立した」と感じるとすればそれは「錯覚」であり、「勘違い」である。 3.当たり前に100パーセントの理解や100パーセントの受け入れを要求した場合、関係が長持ちすることは不可能である。これも考えれば当たり前であるが、現実的には「4、5歳までの幼児期に親が一見それに近い状態になれる」か、または「胎児期の母親は100パーセントの庇護をすると言えるが、その母親に胎児が現実的に要求することは出来ない」と考える。 4.だ
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