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相互依存とジャイアンに関するdaisukeeHTNのブックマーク (3)

  • 「利用」の意味 | 意味不明なヒトビト

    「利用」という言葉は依存系(ASやAC、依存型ジャイアンなど)の人には大きな抵抗があるようだが、ACから回復して依存に走ることも辞めた来のジャイアンには実に「自然」ですっきりした表現だ。 私は「利用の何処がいけないか?」と平気で言っているのだが、その説明を試みよう。 さて前回までの続きで、生きるか死ぬかの「尊厳」の世界では、表面的な「配慮」とか二面的な「フォロー」などが全て無意味になる。人の意志を尊重するか、無視するかのギリギリの選択しかない。 「利他」とは何かを突き詰めて考えれば、「自分で考えた相手のため」というのは悉く「自己満足」でしかありえず、特にASの場合にはどう転んでも「親切の押し売り」的な「支配」にしかならない。(ASはよほど苦労した人で無い限り「自分のやっていることが自己満足で過ぎないのでははないか?」という疑問自体考えないだろうが) 自己満足を全て去ろうと考えると、最後

    「利用」の意味 | 意味不明なヒトビト
    daisukeeHTN
    daisukeeHTN 2016/10/11
    "依存系の人には大きな抵抗があるようだが" "「利用されることを喜んで選択する」...その代わり相手を利用もする" "別の表現をかぶせる意味があるのだろうか?" "責任をあいまいにしたり、実は支配的な押し付け..."
  • 共存の可能性 | 意味不明なヒトビト

    いろいろな角度からASとジャイアンの共存の可能性を最近考えてきて、何となくポイントが見えてきた。 共存の障害① 根的な思考のあり方 ジャイアンはASの、「自分が多数派側に立つ」「自分の考えは一般的普遍的である」というような思考を、激しく独断的(「井戸の中」と呼びうる)と認識する。「何の根拠があってそう言えるのか?」、「あなたは神様か?」という不合理さへの反発とともに、「中心の方向から蔑まれている」という激しい反発が起こることは避けられない。(ただしこれはASが徹底的に合理的な環境で鍛えられた場合には例外は生じうると私は思う)。 共存の障害② 表現方法 ジャイアンはASの「非言語的な表現」に過剰反応する。ここのコメントの中でもmario氏の主張に対して、ネット上の言葉での書き込みであるにも拘らず、「その言葉の背景に感じられる思考の前提」や「ちょっと漏らした音的なためらいの感情」などの部分

    共存の可能性 | 意味不明なヒトビト
    daisukeeHTN
    daisukeeHTN 2016/08/24
    "ASは「必要とし、必要とされる」という情緒的な依存関係を(少なくとも非言語的な部分では)どうしても求める" "ジャイアンは「必要」という言葉で現されるような(依存)関係を必要としない(だけでなく有害でさえある
  • 依存を治す必要があるか? | 意味不明なヒトビト

    受動型ASや依存型ジャイアンは脳の働きからして依存的で、「あなた自身の考えは?」と問われる場面では困ることになる。 そもそも依存自体はそれだけでは治療の対象にはならない。例えばジャイアンがパーフェクトASの愛着の対象となっていて、かつ尊敬し依存して、表面上素直に従えば、非常にうまくいくはずだ。依存型ジャイアンと仕切り屋のジャイアンも同様だ。 ただ現実には依存の問題自体が身体症状やうつ状態などの形を取って表面化し、ケアしなければならない事態になることは多い。 そのひとつは、「子供に対する責任」だ。子供の誕生自体で愛着の一番の対象の立場が脅かされたり、子供が学童期や思春期になりいじめや不登校などの不利な問題が生じた場合、依存している側にも世間からは当然「親の責任」を問われることになる。 子供のほうもジャイアンであったりASであったりすることが多いので、両親の夫婦関係が一方的な依存関係であると、

    依存を治す必要があるか? | 意味不明なヒトビト
    daisukeeHTN
    daisukeeHTN 2016/06/02
    "依存型ジャイアンも受動型ASも...不利なことがあると途端に「依存しているパートナーの責任を追及する」" "「親にならない」こと、...不安になっても相手を責めないようにする」こと" --> "結局どこかで自立するしかない"
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