「嫁」なんて訳のわからんタームを使わんでも他に言い方はいくらでもあろうに。IT業界だと凄腕エンジニアの横に、下々の使う言語との翻訳をする「通訳」ないし「コンパイラ」と呼ばれる人がついてるのはよく見る。
出来そうな気がしてくるのが不思議 【チャンネル紹介】 ひろゆき氏の配信の切り抜き動画を投稿しています。 面白いと思った方は是非チャンネル登録お願いします! ※このチャンネルは著作権元の許可を得て収益化しております。 【ひろゆき】 ・Youtube → https://www.youtube.com/channel/UC0yQ2h4gQXmVUFWZSqlMVOA ・Twitter → https://twitter.com/hiroyuki_ni 【元動画】 トランプ、弾劾投票されてるってよ →https://youtube.com/watch?v=sl_XSWpcX-Y #ひろゆき #切り抜き #後回し
https://anond.hatelabo.jp/20201119102004 人生無理バーには行ってないけどそういうやつらの気持ちはわかる。つい最近まで再就職の支援施設でこういうやつらの面倒見てきたから。 この手の連中はねー。ほんと厄介だよ。 本当に助けてくれる人って陽キャだとか力がある人だってのはわかってても陽キャ怖いから、自分に近い人のほうが安心できてそっちに行ってしまうんだよ。 あとねー。こういう人生無理って言ってるやつに限って無駄にプライドこじらせてるから助けを求めてるくせになかなか腹をみせないわけ。こういう連中ってほぼ例外なくTwitterやっててさ。何人かの人間は確認させてもらったことあるけどTwitterだとめっちゃ偉そうなんよな。見せてくれなかったやつらはたぶんうちの施設の悪口とかめっちゃ書いてるんだろうな。 こいつらの身もふたもない理想を言うと 自分を脅かさない、なん
人並みの幸せは諦める障害のことは人前では一切口にしないどちらに進んでも悪い方向にしか行かないのだから、悪い中でもマシなほうの選択肢を選ぶしかない親しげに近づいてくる奴は見下して優越感を感じようとする自己愛性人格障害者か、いいように利用したり搾取しようと企む性悪定型のどちらかしかいないと心得るべし沈黙は金以上なり飲み会や宴席にはなるべく参加しない。参加しても一切喋らない冗談やジョークを言わない口に出すのは挨拶と感謝と謝罪だけにすべし人前で趣味や遊びの話は絶対に口にしないこと雑学的な知識を人前では見せないこと自分の得意分野の話題になっても一切口を開かないことはしゃがない。笑わない。「心を開け」「自分を出せ」「言いたい事があるなら言おうよ」といった言葉に騙されるな定型の言う事には必ず裏があると心得るべし定型=嘘つき、二枚舌ということを心得るべし職探しは給料の額面よりも休日の多さ、残業の少なさ、一
私へのメール相談の中にも非常に多く、実際に受診された人からも聞きましたが、専門でない精神科医から「発達障害でない」と診断されて非常に苦しい思いをしたという話を多く耳にします。 下記HPでも説明していますが、DSMⅣなどの診断基準には C.「これらの症状による障害が複数の状況下(例えば学校と家庭)において見られる」 D.「社会、学業、職業等の機能において臨床的に著しい障害が存在するという明確な証拠が存在する」 という生活障害の条件がついており、例えば「仕事をしているから生活障害は著しいと言えない」という根拠で「診断しない」ということは文字通りには正しいので、そのとおり丁寧に説明していただければ当事者も仕方が無いと納得する可能性はあります。 私はそのために下記に「自己診断」のHPを作り、「診断されない人用の自己責任の自己診断」を提案しました。 http://www.geocities.jp/y
支配的な親からの理不尽な愚痴をずっと聞かされ続けている依存型ジャイアンのケースの言葉。 「親も精神的に持たないから」「死ぬといっているから」。 こう考えて本人は理不尽と感じつつも親の現実的、心理的なフォロー、尻拭いをずっと続けてきた。 私は本人に聞いた。「何故子供であるあなたがフォローする必要がある?」「親本人はその 問題から逃げていいのだろうか?」 本人は再度「でも親は本当に責任を突き付ければ死ぬかもしれない」と言いつつも、 自分の発想の問題点に気付いた。 私はその本人を見て、依存型ジャイアンの発想のひとつの特徴に気付いた。 「逃げて良い」のだ。依存型ジャイアンの世界では辛ければ、死ぬといえば、どんな責任からも逃げて良いのだ。いつもながら依存型ジャイアンの世界には驚かされる。 その理由は、結局「その場だけ」という一瞬に生きる依存型ジャイアンの認知と行動を考えれば容易に推察できる。「自分が
ジャイアンの基本的な不安定さは合理的な部分とエゴの部分の根本的矛盾から来る自己突っ込みの終わることの無いぶつかり合いから来ると私は考える。 実際、この状態のまま生きていくのは苦しい。そのために、ジャイアンの他の説明しにくい特徴は「この矛盾の表面的な解決」という意味を持つのではないか? まだはっきりとイメージを確立し切れていないが、「依存型ジャイアン」は自己突っ込みが少ないようだ。自己突っ込みの代わりに、実際に他の人に突っ込んで黙らせたり、逆に「全面的に信頼」してぶら下がる形になる。 私はこう想像する。積極奇異型ASや、別のジャイアンに依存して、一番のこの人から認めてもらうことで、「一番の人から見て一番」であれば、それ自体自分がすがりつくステータス(岩山)足りうる。 この場合ジャイアンの死に物狂いの努力は、「ある偉い人から見て自分が一番の場所を獲得するのにはどうしたらよいか?」という方向に向
AC、人格障害関連 親の責任④ ジャイアンの子の「環境」として 2007/11/5 AC、人格障害関連, ADHD関連, AS(アスペルガー)関連, その他(医療関連), 研究, 診療 コメント: 5 親の責任④ 子供がジャイアンの場合の「環境」として ジャイアン(自己正当化型ADHD)は小さい頃から口が達者で、強く繰り返し主張する自己主張する能力を持ち、まともに言い合った場合、無理矢理の屁理屈に大人でも押し切られてしまうこともある。 他方ジャイアンは家庭や職場などその場の「力関係、誰が一番力を持っているか」に対する鋭すぎる直感を持ち、その「力を持つ人のやり方をそのまま真似る」という特徴的な行動パターンをもつ。その結果「他の子を誉める」ということが非常に有効なのも特徴的だ。 だからジャイアンの教育は「どうこう言うよりも、環境として親がモデルを示す」ということが重要だ。 例えばDVの家庭なら
ジャイアンとASの違いを考える中で、ジャイアンとASは普通の(合理的な)ADHDと対照的に、「周囲の人の評価を気にする」という意味で人にこだわるところが共通する。合理的なADHDは極言すれば「嫉妬という感情がない」と言えると思う。 「嫉妬」を、「特定の人との一対一関係で相手が自分とは別の人に向かった時の怒りや悲しみ」とすれば、ジャイアンには妬み(ねたみ)はあるが嫉妬はない。 ASは特定の人に強い「愛着」を持つので、当然強い嫉妬を持つ。これに対しジャイアンは、特定の人への強いこだわりは(好奇心や面倒を見たい衝動はあるが)なく、相手が別の誰かとかかわっても、あまり怒りや悲しみはない。 嫉妬はないが、妬み(ねたみ)はある。ほかの人が表彰されたり、褒められたりすると、醜い姿を告白すれば、決して喜べない。その人が不幸になるようなファンタジーにふけったりする。おそらく普通のADHDは、素直に「よかった
「モラルハラスメント」という用語は最近はポピュラーになっている。 パートナーに対して「お前の考えは間違っている」と言い続けたりすることで、これは合理的強迫的ジャイアンの専売特許と思っていたが、意外に依存型ジャイアンのモラハラがあることが最近分かった。 依存型ジャイアン特有の「その場の場当たり的な対応」の一種として、「とにかく相手を黙らせれば良い」という目的で「威圧する」、「断定する」、「相手の意見を聞きもしないで頭から否定する」という態度が出てくることがあるのだ。 これをパートナーなどの相手から見ると、実はハラスメントとしてのダメージが違ってくる。 合理的強迫的ジャイアンでも、積極奇異型ASでも、強迫的な発達障害のモラハラは自分自身にも厳しい条件を課していることが多く、モラハラの加害者の行動をしっかり見据えれば首尾一貫性があるので、理不尽であっても理解の可能性は無いことも無い。 これが、「
前二つのスレッドは、結果としてADHDの自己突っ込みへの理解が深まればと思って書いたものだ。コメントの中で「愚痴」というキーワードを頂いたので、もう一歩突っ込んで書いておこう。 ADHDの多くの人は、自分が「ある人への不満を、その人には直接伝えないで居て、なおかつ別の人の前で口に出した」ということをしたら、必ず「自分はなんて卑怯な奴なんだ」という自己突っ込みをする。ジャイアン、少なくとも私はこうなる。 最初の相手に言えなかったことにどのような理由があろうと、この自己突っ込みは変わらない。「陰で言っている」ことに違いは無いからだ。そこまでADHDの自己突っ込みは厳密で徹底的であるということを理解する必要がある。 ADHDは自分の目の前でASの人が他の人の不満を言っている時、ほとんど必ず、「この人は自分のことも知らない他の人の前で同じように悪く言っているのだろうな」と思いながら聞いている。 A
(ここであらためてご説明しておきますが、このブログは私の直感的に感じたことをそのまま書き散らしているだけで、学問的なエヴィデンスとは程遠いものです。そういったものを期待される方はどうぞ別の先生方の論文などをお調べください。私はASやADHDの人の本人や周囲の人がこれらの発達障害について理解を深めるのに役に立つ可能性があると考えた私の思い付きを書いているだけですので、それ相応のご理解をお願いいたします。ここに書いたことに関連するご自身や身近な人から得た個人的、実感的なコメントをよろしくお願いいたします。また、私が述べていることと直接関係のないご自身のお考えを発表されたい方はどうぞご自身のブログなどでお願い致します。) さてADHDの自己突っ込みについて考える中で、物事をADHDは「事実」として、同じことをASは「行為」として捉えるのではないかと思いついた。 例えば「自分の発言の後でその場に居
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