人はなぜ「美しい」と感じる心を持つのか 頑張っているのにうまくいかない。 離婚・摂食障害・モラハラ・セクハラ・パワハラなど、どん底と思えていた経験から立ち上げってきた経験を、同じ様な状況で悩み苦しみながらも前を向こうとする方々の少しでもお役に立ちたいと、現在メンタルコーチとして取り組んでいます。 《「精神的な自立」が鍵となる》 いかがお過ごしですか? メンタルコーチ&セラピストの冨田真由美です。 今度の土曜日に開催する『美しい在り方を整えるCafe勉強会』のサブテーマは、「依存について考える」です。 とても難しいテーマなので、これまで以上に取り組みがいのある内容になると思います。 まず、「依存とは」を調べると、 「他のものに頼って成立、存在すること。」 「他に頼って在ること、生きること。」とあります。 さらに煮詰めると、依存には3つのプロセスがあります。 1)人への依存 相手にしがみつく、
言いにくい話だからあまり言わないようにしてきたが…正直なところ、躁うつ病になってからというもの性的衝動がすごく強い時がある。これは僕個人もそうだし、躁うつ病の兆候の一つとして性欲が乱高下する…という現象は実際に起こる。 本当に性欲が強い人、下ネタが好きな人もいるため、周りから見ている分には意識されにくいことだが…男女問わず、妙に性欲が強くて近くに異性がいると甘えたがることが…ある。いや、経験したことがある。 病んでる人同士が病んでる時に一緒にお酒なんぞ飲んだ日には本当に何が起こってもおかしくない。いい意味でも悪い意味でも距離が密接になる。行為とか合意とかそんな理由ではなく、本能的で衝動的に頭と体が一致しない形でお互いがお互いに依存したり、甘えたり…という現象が起きる。 「なぜこんなめんどくさいことを書くか」だが、それはこの記事が出回っているからだ。 風俗をやめた話 要約すると「風俗通いして
AC、人格障害関連 発達障害と人格障害7.依存性人格障害 2011/4/1 AC、人格障害関連, ADHD関連, AS(アスペルガー)関連, その他(医療関連), 研究, 診療 コメント: 6 DSM‐Ⅳによる依存性人格障害(Dependent Personality Disorder)の診断基準 A.他人に世話をされたいという過剰な欲求があり、そのために従属的でしがみつく行動をとり、分離に対する不安を感じる広範な様式である。成人期早期に始まり、種々の状況で明らかになる。以下の8つの基準のうち、5つ以上があてはまる。 1. 日常の些細なことでも、他人から有り余るほどの助言と保証が無ければ決断できない。 2. 自分の生活のほとんどの主要な領域で、他人に責任をとってもらいたがる。 3. 他人の支持または是認を失うことを恐れて、他人の意見に反対を表明することが困難である。 4. 自分の判断や能力
週刊山手心理相談室大阪市のカウンセリングルーム山手心理相談室(ミュゼ・アルディの登録商標です。他の方の使用はお断りしています)の社員ブログです。夫婦・発達障害・依存症・アダルトチルドレンに関するカウンセリング記事を中心に投稿します。 ようこそ!でございます。幸せですか。今日もブログが丑三つ時に更新されました。 というような書き出しで毎回始まる傾向にあるのがアスペルガーさんのブログですが、一般 の方から見てどう思われるかというより、自分なりの(気持ちが悪くない)書き出しでなければ 安心できないのでしょうね。 よく間違われる傾向にあるのがアスペルガー症候群とパーソナリティ障害です。 表面的には似ている傾向にあることはあるのですが、医学上の区分は違いますし、周囲の方が 受ける迷惑度も大きく違います。たとえば「怒り」という感情がありますが、アスペルガーと 境界性パーソナリティ障害の方には以下のよう
AS(アスペルガー症候群)は一般的には空気が読めないと言われているのが実は私は不思議だった。 私が接しているASの人は人を近く感じているがゆえに苦しんでいる人が多く、その意味で私には「ASは空気が読めすぎる」という風に見えていたからだ。 この意味ではADHDのほうがはるかに「自閉的」で、根本的には人を必要としない。また本当の意味でKYでもある。 だが確かによく見るとKYのASの人は居るには居る。この両者の関係について最近やっと整理できた。 先のジャイアンの最初の分類と同じく、「非言語的」に器用かどうか、動作性IQに相関する非言語的状況察知能力の個人差であるというのが最近の私の考え方だ。 もちろんASにも合理的、強迫的な環境で育てられるかどうかの同じような分類は可能だろう。 詳しくはASの専門の人に任せようと思うが、ぱっと思い浮かぶASの人をいろいろ当てはめてみるとイメージが出来る。 思うに
「普通」、多数派の形成している「空気」に合わせていて自然な状態となる受動型ASは、結果として「普通」にこだわる人が多い。 直感的には当然の結果のように思える。「特に友達にASをカミングアウトする」ことは非常に大きな困難を伴うようだ。 このブログでも過去に受動型ASと思われる常連のコメント氏が居られ、誇大的ともいえる態度で私をはじめ多くのジャイアン氏の怒りを買ったことは記憶されている方も居られるだろう。 ここまで書いてきた受動型ASの「特定の人への異常な愛着」と「普通へのこだわり」は、二つの平衡点とも言うべきもので、この間に山型にストレスの高い状態があり、「普通から遠ざかりすぎると特定の人への依存に行く」という関係になっていると私は想像する。 受動型ASの普通へのこだわりの大きな特徴は、少しでも普通であることを否定された場合に限り、「自分が普通だ」「自分が正しい」と死に物狂いに自己正当化する
(以下一部のASの人を話題にしますが、これはあくまでも「十人十色の中にはこういうASの人も居るかもしれない」ということで、間違ってもASの人は「自分のことを言っている」と勘違いしないで下さい。特定の誰のことでもありません。十人十色の人のうちにはこういう人も居る可能性があるという話です。これを理解しないコメントは無視します)。 受動型ASの一部の人は相手中心で「自分が無い」という特徴があり、常に相手からのアクションを受けて受身の反応として認知も行動も体験され形成される。 だから常に「特に愛着の対象がこうしたから私はこうした」という受動的な発言や行動となり、表面上は「無責任」「人に責任転嫁している」という相手から見たときの見掛けとなる。 これに加えて、受動型に限らずASの一部の人に見られる「直接その場で相手に言葉で要求や希望を伝えられない」「後で相手の居ないところで別の人に本音を話す」「愛着の
受動型ASのスタンダードなイメージは、「表面上世間的にはは非常に気配りもできてトラブルも起こさず、慎ましやかできちんとしている」という一方で、「パートナーや親など愛着の対象の前では豹変して異常に理不尽な要求を異常にしつこくし続ける」という人だ。 愛着の対象に対する要求が少しでも通らないと、たちまち「自分は居ない方がいいのか?」というボーダー的な試し行動などが出てくる。「必要とされることへのアディクション」と言ってもいいような認知と行動の構造だ。 私はこの「100が当たり前」という要求と、外面の異常に良いところ、この両者のギャップで受動型ASを鑑別することが多い。 前述したが、依存型ジャイアンと表面上似ているところが多いが、これは「ジャイアンは結果が大事なので嫌われるまでしつこくはしない」というところや、受動型ASは「表向き自分からは動かない」あたりで見分けることが可能だ。 スタンダードなタ
AC、人格障害関連 ジャイアンの本質(中間総括)その4 2010/6/16 AC、人格障害関連, ADHD関連, その他(医療関連), 研究, 診療 コメント: 5 各論4.依存型ジャイアン(ボーダー型) ジャイアン本人を溺愛する代わりに、言語的な説明を省いて主に非言語的なかかわりの中で全部親の思い通りになるように支配して育てた場合、ジャイアン本人は「その親をどうコントロールするか?」だけをテーマとし、その方向の能力だけを発達させて成長する。 この場合、「衝動は親にコントロールしてもらう」「この親から溺愛されるために親の気に入るようにする」というスタイルとなり、非言語的な状況察知能力の有無により異なるが、表情や言い方などの非言語的な表現の使い方に巧みとなり、非言語的に周囲をコントロールする技術を身につける。 例えばAS父親に溺愛されたジャイアン女子は、同じタイプ(ASが多い)の男性をコント
受動型ASや依存型ジャイアンは脳の働きからして依存的で、「あなた自身の考えは?」と問われる場面では困ることになる。 そもそも依存自体はそれだけでは治療の対象にはならない。例えばジャイアンがパーフェクトASの愛着の対象となっていて、かつ尊敬し依存して、表面上素直に従えば、非常にうまくいくはずだ。依存型ジャイアンと仕切り屋のジャイアンも同様だ。 ただ現実には依存の問題自体が身体症状やうつ状態などの形を取って表面化し、ケアしなければならない事態になることは多い。 そのひとつは、「子供に対する責任」だ。子供の誕生自体で愛着の一番の対象の立場が脅かされたり、子供が学童期や思春期になりいじめや不登校などの不利な問題が生じた場合、依存している側にも世間からは当然「親の責任」を問われることになる。 子供のほうもジャイアンであったりASであったりすることが多いので、両親の夫婦関係が一方的な依存関係であると、
私が最近受動型ASを話題にしているのは、実は依存型ジャイアンとの違いを明確にする方法を考え続けているからだ。 ジャイアンの分かりやすい見分け方は、「ほめられると単純に調子に乗る」という特徴であるが、実は(積極奇異型ASが喜ばないのに対し)受動型ASは調子に乗る。 また、ジャイアンだけでなく全ADHDに共通する特徴として「自己突っ込み」を位置づけようと考えたら依存型ジャイアンには自覚される自己突っ込みは少ないようだ。 もうひとつ、「石が悪い」に近い表面的な発想も実は受動型ASにはある。依存している相手が怒っていなければ何も問題は存在しなくなる。 依存している相手に対する逆切れするような態度もよく似ている。ケースもどちらか迷うことがたびたびあり、表面上は非常に似ているのだ。 今のところ私が考慮する表面上の見分け方のポイントは、「抜け目無さ」とでも言えるポイントだ。受動型ASは多数派と同じくどう
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