ネトウヨという言葉は海外に、なんとあるんです。 ネトウヨが海外掲示板で暴れ回ってくれたおかげで、日本産の異常者としてWikipedia(英語版)でしっかり解説してくれてる。 ・歴史修正主義者 ・移民、特に在日韓国人に対する敵意 https://t.co/UbW50kva4v
日本共産党労働者派(1930) 多数派(1934) (1950年分裂時の分派) 所感派(主流派) 国際派(1950) 日本共産党国際主義者団(1950) 日本トロッキスト聯盟(1957) 革共同(1957) 共産主義者同盟(1958) フロント (社会主義同盟)(1962) 日本共産党(日本のこえ)(1964) 日本共産党(解放戦線)(1965) 毛沢東思想研究会(1966) 共産主義労働者党(1966) 日本共産党(左派)(1966) 日本労働党(1974) 日本労働者党(1968) 日本共産党(マルクス・レーニン主義)(1974) 日本共産党(行動派)(1980) 日本共産党(ボルシェビキ)(198?) 日本共産党(日本のこえ)(にほんきょうさんとう にほんのこえ)は、1964年に結成された親ソ・反中共の左翼党派。日本における「ソ連派」の代表的党派とされる。略称は「こえ派」、もしくは単
満鉄調査部事件(まんてつちょうさぶじけん)は、第二次世界大戦中、多数の南満洲鉄道調査部員が関東軍の憲兵隊によって2回にわたり検挙された事件。満鉄事件とも呼ばれる。1941年に起こった合作社事件をきっかけとして、1942年には調査部員の第一次検挙、1943年には第二次検挙が行われた。 経緯[編集] 合作社事件[編集] 満鉄調査部は、1939年の拡充に伴う人員増強により、日本内地で活動の場を失った大学卒業以上の学歴を持つ左翼からの転向者が多数就職していた。彼らは、内地ではもはや不可能となったマルクス主義的方法による社会調査・分析に従事しており、そのことが関東軍の憲兵隊を中心とする満洲国治安当局からの監視の目を強めさせることになった。 橘樸の影響を受けていた『満洲評論』編集長で興農合作社中央会職員の佐藤大四郎は、1937年1月以降、北満洲の浜江省綏化県で、貧農を農事合作社(協同組合)に組織して生
この記事には参考文献や外部リンクの一覧が含まれていますが、脚注による参照が不十分であるため、情報源が依然不明確です。適切な位置に脚注を追加して、記事の信頼性向上にご協力ください。(2018年6月) 満鉄調査部(まんてつちょうさぶ)は、1907年(明治40年)に設立された南満洲鉄道内の調査機関である。なお、満鉄内の当該部局の名称は時期によって「調査部」「調査課」「調査局」などと異なっているため、ここでは諸部局の活動を一括して述べる。 概要[編集] 1906年に南満洲鉄道(満鉄、総裁後藤新平)が発足した翌年、満鉄調査部が設置された。当初は満鉄の経営のための調査をはじめ中国東北部などの政治、経済、地誌等の基礎的調査・研究を行なったが、その後の日本の中国進出の拡大に呼応してその対象を広げ、中国そのものを対象とした本格的な調査研究も行うようになっていった。 他方、多数の調査スタッフを必要としたことも
矢次 一夫(やつぎ かずお、1899年7月5日 - 1983年3月22日)は、大正・昭和期の日本の、労働運動家・浪人政治家・フィクサー。 昭和研究会と並ぶ、民間の国策研究機関「国策研究会」の創立者の一人で、常任理事。大宅壮一は彼を「昭和最大の怪物」と評した。 人物・生涯[編集] 1899年(明治32年)7月5日に、佐賀県にて、長崎の県立病院に勤める医師だった父と、同じ病院の看護婦だった母の間に生まれた。 早くに母を亡くしたこともあって、大阪で、厳格な祖父の下で育てられた。 祖父が亡くなった15・6歳の頃に家を出て、人夫・沖仲仕・鉄工所などを渡り歩いて肉体労働に明け暮れる放浪生活を経験した後、徴兵検査で一旦故郷に帰ったものの、20歳で上京。一時は北一輝の食客となり、これを契機に労働運動の渦中に身を投じることになる。 1921年(大正10年)に、田澤義鋪(たざわよしはる)の勧めで協調会に入り、
田中 清玄(たなか せいげん、1906年〈明治39年〉3月5日 - 1993年〈平成5年〉12月10日)は、日本の実業家、政治活動家、CIA協力者[1][2][3]。フィクサーともいわれる。 戦前期の非合法時代の日本共産党(第二次共産党)中央委員長。転向後は政治活動家となり、戦後は実業家として三幸建設工業株式会社社長、光祥建設株式会社社長をつとめる。ロイズ保険の会員でもあり、日本人でロイズの会員になれたのは、田中と南方哲也(元長崎県立大学教授。南方熊楠の大甥)のみと言われている。モンペルラン・ソサイエティー会員。1993年12月10日、脳梗塞で死去した。 生涯[編集] 少年期[編集] 1906年3月5日、北海道亀田郡七飯村(現七飯町)で出生。『自伝』によれば、戊辰戦争で自殺した会津藩家老の田中土佐(田中玄清)の子孫。清玄は後年も会津の血を引いていることを誇りにしていた。 1919年4月、旧
1980年代に主として京都大学において収集したアジビラのライブラリー 【当サイトについて】 主として京都大学吉田キャンパスにおいて、当サイトの管理人が在学していた1980~86年にかけて収集したアジビラ(学生団体等がアジテーションを行うために不特定者に撒く情宣ビラ)を電子化しました。 【掲載の方針】 手元に残っていたビラを分け隔てなく載せてあります。特定の団体や主張のビラが多いとしたら、それは当時、その団体が盛んにビラを配っていたことを表しており、従って当時の京大キャンパスにおける各団体の活動状況を反映しているとお考え下さい。 各ビラの通し番号は、保存していた箱の中で積み上げられていた順序であり、電子化作業の順序にもなっています。その順序は概ね入手時期に関連があるものと思われ、発行・入手時期が不明なビラについて、通し番号の前後のビラとの関連で時期の推定に役立つ可能性があります。 掲載順序は
石原慎太郎・東京都知事によるとされる「天罰」発言には、私には関心がなかった。今でもさして関心はない。理由は簡単で、この人の新しい失言から思想信条を考えるまでもなく、それなら、過去の失言で十分ではないかと当初思えたからだ。問題は、そうした思想信条が公的な立場である東京都知事としての行政に反映されているかなのだが、これまで都知事をされていて、特段に影響を見ないように思う。 今回の失言の顛末だが、すでに「言葉が足りなかった。撤回し、深くおわびする」(参照)と謝罪したとのことなので、政治的な決着は済んでいると言えるのではないか。本人としても、「天罰」発言が失言であったと認めている(参照)。 とはいえ、当初の報道のされかたに私は奇妙な印象を受けた。これってきちんとした報道になっているのだろうか。そういう思いから、報道の資料としてブログに残して、それと自分がこの件で思ったことを記しておきたい。 大手紙
ネトウヨは社会の負け組!……とかのんきなこと言ってる場合ではない 御茶ノ水の在日本韓国YMCAでこの春から行われている「連続講座 移住者のリアリティ」の第4期、金明秀(キム・ミョンス)の回を聞きに行った。 ネット上では早くから在日問題のポータル「THE HAN WORLD」を主宰し、あの有名な、そしてネット右翼の重要な攻撃対象である掲示板 “hanboard” を運営してきた金明秀は、現在関西学院大学教授で計量社会学を専門としている。計量社会学とは何かというと、要するに統計データに基づいた社会学でさまざまな社会調査によってエスニシティや社会意識論、社会階層論を論じるというもの。できるだけバイアスを排して調査を行うことによって、政治的視点から自由な実証的な研究を行うことが期待できる。 今回の講座では、金明秀が2009年に京都で行った排外主義に関する意識調査についての解説がメインだった。設問の
取り敢えず本日聖地にて不埒者どもがデモをすると聞いて巡礼も兼ねてヲチしてきたけどよくよく考えたら肝心の巡礼の方をきちんとできてないんで単にヲチしに行ったと言う方が適切かもしれない,と前置きを書いて始めます。ちなみに連中の「行動」をヲチしたのは実はこれが初めてです(これまで,胸糞が悪くなるので映像は殆ど見てこなかったので)。なのでヲチヴェテランの方から見れば「ああ,またか」な事象に過敏に反応している向きがあるかもしれないですがそこはご容赦下さい。また,一々記録を取っていたわけではなく,記憶を頼りに書いているのと,そのデモの全貌を観察し得たわけでもないことから,以下の記述には事実関係の誤りや時系列の混乱,曖昧な内容が含まれている可能性があります。 僕が連中の集合場所に着いたのは,連中が指定した集合開始時間と同じくらいでした。けれど,集合場所である秋葉原公園には既に日の丸や旭日旗,Z旗などを持っ
仙谷官房長官「日本文化は中国が基本」「日本は侵略行為で中国に迷惑かけた」 1 名前: 写真家(catv?):2010/10/04(月) 23:32:20.13 ID:82O+V7FcP ?PLT 【尖閣衝突事件】仙谷氏「日本が中国に迷惑」対中観で閣内不一致 仙谷由人官房長官は4日の記者会見で、民主党の枝野幸男幹事長代理が沖縄・尖閣諸島沖で起きた中国漁船衝突事件をめぐり、中国を「悪(あ)しき隣人だ」などと批判したことに反論。戦前の日本が「侵略によって中国に迷惑をかけた」ことを理由に中国を擁護した。「対中観」で閣内不一致が露呈した形だ。 仙谷氏はこの中で「古くから中国から伝来した文化が基本となり日本の文化・文明を形成している」と歴史を説きおこし、「桃太郎などの寓話(ぐうわ)も中国から 取ってきたようなものが多い」と中国の文化的優位性を強調した。 さらに「歴史の俎上(そじょう)に載せれば、そんな
仙谷由人官房長官は4日の記者会見で、民主党の枝野幸男幹事長代理が沖縄・尖閣諸島沖で起きた中国漁船衝突事件をめぐり、中国を「悪(あ)しき隣人だ」などと批判したことに反論。戦前の日本が「侵略によって中国に迷惑をかけた」ことを理由に中国を擁護した。「対中観」で不一致が露呈した形だ。 仙谷氏はこの中で「古くから中国から伝来した文化が基本となり日本の文化・文明を形成している」と歴史を説きおこし、「桃太郎などの寓話(ぐうわ)も中国から取ってきたようなものが多い」と中国の文化的優位性を強調した。 さらに「歴史の俎上(そじょう)に載せれば、そんなに中国のことを(悪く)言うべきではない」と枝野発言を否定。「(中国は)清朝の末期から先進国というか英米の帝国主義に領土をむしりとられてというと言い過ぎかもしれないが、割譲されて民族としても国家としても大変、つらい思いをしてきた歴史がある」と中国の近代史に同情してみ
http://twitter.com/hatenademian/status/21543534674 レイシズムや歴史修正主義を「それはそれ、これはこれ」で片付く問題だと思ってる時点で終わってる。「○○議員はホロコースト否定論者なんだけど、まあ彼は経済政策に詳しいんで不況脱出のための旗ふり役としてがんばってもらおう」って、ドイツでは通用しないはなしですから! 教養ある欧米人に「日本ではデフレ脱却のためであれ南京事件否定論者とは手を組めない、とか抜かすサヨクがいて困っちゃいますよw」と言ってみろよ。「それは困ったものですね」なんて反応が返ってくるとでも思ってるんだろうか。 だいたい、社民と共産だけが強硬に反対しているのでインフレターゲット政策が実現しない……ってんならともかく、肝心の日銀すら折伏できてないわけじゃん。そんな状況で「松尾センセの本を読めばサヨクもリフレに目覚めるキリッ」って、バ
非実在青少年問題についてのエントリーが増えている昨今。この問題は右派ブロガーの間でも関心が高く、ついこの間まで外国人参政権問題や朝鮮学校の無償化問題などを取り上げていたブロガーの多くが、この問題を取り上げている。右派ブロガーでこの問題を取り上げている人のほとんどが、非実在青少年の規制に反対している。 ところが、規制すべきという勢力には保守派が多い。もともと地方議会の草の根保守勢力は宗教右派の影響が強く、純潔教育という政治目標が重視される。特に宗教右派の影響を受けていない議員でも、左翼の脅威から団結してきた歴史的背景もあり、「多様な保守」の主張をお互いに尊重する伝統から、この考えを支持する傾向にある。 保守派でありながら、非実在青少年の規制に反対している人は多いが、政治から取り残されている。中には「民主党が規制を推進している」というデマを流している団体もあるようだが、鉾先を間違えた運動は参加
初めに断っておきますが、僕はいわゆる「夫婦別姓」について、べつに賛成も反対もありません。僕は独身の男であり、どっちになろうが関係はないのです。 ただ…世間の議論を聞いてると、みんな何を言ってるのかわけわからん。フシギでしょうがないのです。今回はこのことを書いてみます。 ◆「日本の伝統」は同姓? 別姓? とにかくこの議論でおかしいのは、多くの人が「日本の伝統は夫婦同姓」と思い込んでいるらしいことです。そこで保守派の論客などが、「日本の歴史と伝統を守れ」「欧米流の夫婦別姓では家族が崩壊する」などとわけわからんことを叫んでいる。 何だ? 何を言ってるんだ? 藤原不比等の前妻は「蘇我」娼子で、後妻は「県犬飼/橘」三千代です。 源頼朝の妻は「北条/平」政子です。 西園寺実兼の妻は「中院」顕子です。 足利義政の妻は「日野」富子です。 細川忠興の妻は「明智」玉子です。 見ればわかるとおり、
堀江貴文オフィシャルブログ「六本木で働いていた元社長のアメブロ」 一般的には、ホリエモンとか堀江とか呼ばれています。コメントはリアルタイムには反映されません。私にコンタクトを取りたいときは、info@takapon-jp.comへメールでご相談ください。 自民が徴兵制検討を示唆、賛成?反対? 私が以前ブログで予測したとおり、自民党の右傾化が激しくなってきた。 昨日はニコニコ選挙特番なるものに、5時間もいたので 「民主主義国家における兵役義務の意味や軍隊と国民との関係について、さらに詰めた検討を行う必要がある」なんだそうだ。遂に兵役の義務化を与党になる可能性のある政党が言い始めた。これは自民党が野党になったこととも無関係ではない。なぜなら野党になったことで世論におもねる必要がなくなり、そして党内で当選した組は、ほとんどが保守派でこのような言説を支持する人たちが支持層だからである。 兵役の義務
社会党右派(しゃかいとううは)は、旧日本社会党の中道左派グループ。一般にソ連・中国型の社会主義や革命を志向せず、西欧型の社会民主主義を模範とした勢力を指す。 定義[編集] 時代によって定義は異なり、結党から1960年代までは社会民衆党・日本労農党の系譜に連なる政治家・活動家を指した。構造改革論争以後は、構造改革論を支持する江田三郎派・和田博雄派・河上丈太郎派に連なる政治家・活動家を指すようになった。村山政権誕生以後は、便宜的に久保亘をはじめとする反村山グループを指す。村山政権時代を除き、右派と左派の分水嶺は、戦後民主主義を是認して議会主義での社会変革をめざすか、戦後民主主義を克服して絶対的な社会変革をめざすのか、という日本社会党が抱える分裂したアイデンティティの、どの立ち位置に属するかという対立である。 戦前[編集] 戦後に日本社会党へ合流する無産政党の源流として、戦前に都市部の労働運動に
2008.3.28 先日、テアトル新宿で上映されている若松監督の「実録・連合赤軍」を観に行きました。 予想以上に当時の若者が多かったです。皆さん様々な想いで、この映画を観に来ているのでしょうね。(ちなみに私の両脇も団塊世代の方でした) 坂井真紀さん演じる、遠山さんの自己殴打のシーンなどはかなりきついですが、この事件に関心のある方には、一度是非見て頂きたい作品です。 そして、その前にある共同軍事訓練での、くそまじめに軍事訓練をする同志を見つめる遠山さんの見せる表情が、今この映画を観る人と同じ視点に立っているのではないかと感じました。 事実関係は、「光の雨」が、裁判資料などを基にして忠実に作ってあるので両方を観て頂 くと、更に当時の状況が伝わるのではないかと思います。 あさま山荘内での、坂東氏のつまみ食いについてなどの吉野氏の批判など細かい部分が、映像として見られてと
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