manacuba @hs513U2nMozZ83V うーん。キリスト教の牧師さんから聞いたのですが、日本人だけが原罪をわからないと。反省する能力、罪を受け入れ苦しむ能力が日本人には欠けている。一方テレビドラマ的な安っぽい正義感という「感情」だけがある。日本にはレジスタンスって無理なんだろうな。屠られる子羊です。 twitter.com/kayokofujimori… 2021-05-31 08:05:47
森凡 @moribon2019 また怪談をあびるように聞いてるのだけど洋ホラーにあるのが『神様に見放される恐怖』なら日本の怪談とか伝承にあるのは『神様に見つかってしまう恐怖』ってかんじがする。いまも昔も面白い話って異径の物と目があう演出がすごく良くって、面白いなー 2020-02-13 12:24:38
ヨブ記がすげーのは、人生でめちゃくちゃつらい時があったとき、自殺を考える/するのはダメだけど、自然死を望むのはOKってところ(「死のう」はダメだけど、「俺を殺してくれ」はOK)。些細なようでまるで違う。 それと、つらいときはついつい人や社会を呪ってしまうけど、そうではなく自分の誕生日を呪いましょうというのも面白い。何で誕生日なんだwという疑問は湧くけれど、結果として誰も傷つかない。これはすごいことだと思うよ。
すべての物には終わりがあるということは、そこら辺の公園でPokemon GOをしているガキンチョも、 チェーン店の飲み屋でワイワイ騒いでいる大学生も、電車内でため息を連発しながらスマホをいじるサラリーマンも、 マック赤坂も、おっさんもババアも、ジジイもクソニートも、みんな知っている。 今日も一日が終わるし、宿題もやり続ければいつか終わる。 電車にだって終電はある。僕の好きな漫画はこの前打ち切りになってしまった。 死ぬということも同じで、人間はいつか必ず死ぬ。 僕はその事実を、今日が終わることも、来年にはこの大学を卒業することも、 先日上司と喧嘩してバイトをクビになったことと同様に、十分に理解している。 しかし、理解する事と受け入れる事は大きくかけ離れている。 僕は今21歳で、80歳ごろには多分死んでいるわけだが、自分の人生の25%をもう使ってしまったことが怖くて怖くて仕方がない。 一方で、
世の中、何か正しいことがあるんじゃなくて、物事がうまく回る方が正しいんだな。30過ぎまで本気で世の中に正しいことがあるんだと思い込んでた。 身近な例でいえば喫煙。喫煙なんて身体に悪いし、周囲に迷惑だ。社会的コストもかかる。そう思ってた(今も正しいと思ってるけど)から、周りの喫煙者には立場に関係なく注意してきた。当然タバコの煙以上に煙たがられた。 でも、周囲が喫煙者だらけなら喫煙は悪いとみなされないし、周囲が非喫煙者だけなら喫煙は悪だ。たとえ合法であっても。 ようするに、世の中のすべては相対的な価値観で動いていて、そこには絶対的な価値観はない。殺人だって戦争中はやらなきゃいけない行為になる。 気づけば当たり前過ぎるんだけど、30過ぎにしてそれに気づいて世界が崩壊するような感覚を覚えた。その後、とても自由になった気がした。 今まで宗教や自己啓発系、スピリチュアル系をバカにしてた、というか精神的
先日、重力波の観測についての報道でアインシュタインの言葉が引用されていた。 アインシュタイン「過去・現在・未来という考え方は幻想にすぎない」 俺は典型的な文系脳で大学で仏教哲学の勉強をしてるんだが、 このセリフを目にして鼻水が飛び出るほど驚いた。 これ、仏教哲学の考えと全く一緒だよ!!! 更にちょっと調べてみたら、現代物理学では本質的に時間は存在しないとか、 脳科学でも自由意志は存在しないかも、っていう流れになっているらしいじゃない。 ちょwww現代科学wwwwww悟りの境地に達してる奴wwwwwwww で、不思議に思ったのは、現代物理学を研究する学生や先生方は、 こうしたアインシュタインの考えを当たり前のものとして毎日を生きてるの?ってこと。 アドヴァイタ(非二元)の指導者もびっくりな悟りの世界を生きてるの? 言い換えると、現代科学は人間の外側を探求し続けた結果として、 ブッダが自分の内
通知を出して半年後とかではダメなのだろうか。 もちろん遺体の焼却はさっさとしないとだが、初七日とか四十九日もぴったり7日や49日でやらないんだし、拘らなくてもよいのではと思う。 式を執り行うことに意義があるだけで、そこに遺体は必要なのだろうか。 墓石がない墓が一般的だし、六文銭も最近はただの紙だし、そろそろ遺体レスの葬式も発案できると思うのだが。 数人分まとめてできる分、葬儀費用は安くなるだろうし、式場や寺も計画的な業務が出来るようになる。 婚姻届は24時間いつでも受付ていても、結婚式は「明後日やるからよろしく!」なんてことはない。 葬式ももう少し考えたらどうか。 追記 巷で言われるほど、葬儀の高さに文句はない。 創価学会は葬式が安いらしいが、その他の機会に吸い取られるし、クリスチャンだって毎週教会に通ったり、なにかの折りに寄付をしたりと、どんな宗教でも金はかかる。 普段なにもしないぶん金
インターネットでは、面識のない個人や、違う場の空気をもつコミュニティが人やグループの行動・言動に緩やかに、時に匿名で一方的に干渉できるので、職場や学校などといったリアルの世界と比べ「批判」が醸成されやすいのは我々の経験がよく知るところです。「インターネットはその匿名性ゆえに無責任な批判が跋扈する、なのでけしからん」といった議論はfacebookの実名制が普及した今でもよく目にしますが、その背後にはそもそも批判そのものが「けしからん」から、ないしは少なくとも原則するべきものではない(それゆえするなら何らかの責任を伴う)から、という前提が垣間見えます。もし批判が一般に歓迎されるべきものなのであれば、批判が集まりやすいインターネットはその意味で社会にとって有益だ、ということになりそうです。 少し前に、僧侶の松山大耕さんがTEDで日本人の宗教観を説いて話題になりました。曰く、日本人の宗教観は"be
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