ホンタイジは、自身の「徳」と仁祖の「過ち」、そして両者の盟約を示す碑文を満洲語・モンゴル語・漢語で石碑に刻ませ、1639年に降伏の地である三田渡に建立させた。これが「大清皇帝功徳碑」である。 和議の内容[編集] 朝鮮は清国に対し、臣としての礼を尽くすこと。 朝鮮は明の元号を廃し、明との交易を禁じ、明から送られた誥命と明から与えられた朝鮮王の印璽を清国へ引き渡すこと。 王の長男と次男、および大臣の子女を人質として送ること。 清国が明を征服する時には、求められた期日までに、遅滞なく援軍を派遣すること。 内外(清国)の諸臣と婚姻を結び、誼を固くすること。 城郭の増築や修理については、清国に事前に承諾を得ること。 清国皇帝の誕生日である聖節・正朔である正月一日・冬至と慶弔の使者は、明との旧例に従って送ること。 清国が鴨緑江の河口にある島を攻撃する時に、兵船五十隻を送ること。 清国からの逃亡者を隠し