歩兵第8連隊(ほへいだいはちれんたい、歩兵第八聯隊)は、大日本帝国陸軍の連隊のひとつ。 概要[編集] 大阪鎮台・第4師団の中核部隊であった。明治の陸軍草創期からある古参の歩兵連隊で、佐賀の乱、萩の乱、西南戦争、日露戦争、第一次上海事変、第2次バターン半島攻略戦に参加した。 流布された里謡[編集] 歩兵第8連隊は「またも負けたか八連隊、それでは勲章九連隊(京都の歩兵第9連隊と「くれんたい(もらえませんよ)」の語呂合わせ)」[1]という里謡と、口数が多く弁舌が立ち、商人気質で損得勘定に敏く、かつ反権力的というステレオタイプかつ偏見混じりの大阪商人気質のイメージとワンセットで語られた事により、「大阪の兵隊は弱い」という風説が生まれた。しかし、実際に第8連隊は特段負け戦をしておらず、また背後に聳える盃ケ岳や多紀連山を使った厳しい訓練や演習で「丹波の鬼」「山岳戦の篠山連隊」と恐れられ、信頼された篠山