■はじめに 私は、昨年8月まで任天堂株式会社の開発部長を務めておりましたが、8月15日付けをもって退職いたしました。そして9月11日に、企画開発を専門とする現在の「コト」という会社を京都市の真ん中に開設したところです。 まず、任天堂がどんな会社であったかを最初にお話ししておきたいと思います。 私は、昭和40年、同志社大学の工学部電気学科を優秀な成績ではないほうで卒業しました。電子工学を勉強すると、当然、半導体メーカーや電機メーカーに就職するのが常ですので、そういうところを転々と歩いて就職を希望しましたが、ことごとく落とされました。しょうがないので、京都に住んでいるから京都の企業でいいやという気持ちで、募集のきていた任天堂という会社へ就職したわけです。 けれどもその当時の任天堂というのはトランプ、花札しか作っていない会社で、最初に回された部署は、工場内の電気設備のメンテナンスを
横井 軍平(よこい ぐんぺい、1941年〈昭和16年〉9月10日 - 1997年〈平成9年〉10月4日)は、日本の技術者、ゲームクリエイター。携帯型ゲーム業界に多大な貢献を行ったことから「携帯ゲームの父」の異名で知られる。 人物[編集] 京都府京都市出身。同志社大学工学部電気工学科卒。 任天堂開発第一部部長として『ゲーム&ウオッチ』、『ゲームボーイ』、『バーチャルボーイ』等の開発に携わり、宮本茂と並んで任天堂を世界的大企業へと押し上げる原動力となった。 経歴[編集] 学生時代[編集] 趣味は鉄道模型で、小学3年生でOゲージを買ってもらい、中学2年生でHOゲージに転向、高校時代に完成させたレイアウト「SPライン(Sはsilk=絹、Pはparasol=傘、絹傘→きぬかさ→衣笠、当時の住所から使ったとのこと)」を専門誌『鉄道模型趣味』に投稿し、1958年1月号に掲載されている。その後進学した同志
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