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仕事と女性と人生に関するikura_chanのブックマーク (3)

  • 役職定年になり、若い頃に決めたことのひとつ「どこまで昇進できるか試してみよう」が終わった女性の話

    カステラ @castellabolo 労働と賃金、女性差別の解消、フェミニズムに関心があり、それらについて思ったことを整理するためのアカウントです。 なかなか旅行に行けないので旅する方の暮らしをのぞかせてもらい、いいねしまくるアカウントでもあります。 カステラ @castellabolo 少し前に役職定年になり、若い頃に決めたことのひとつ「どこまで昇進できるか試してみよう」が終わりました。 定年まであと5年働くので「定年まで当たり前の顔して当たり前に働こう」は「非婚非産単身で生きてみよう」とともに継続中です。 個人的に大きな出来事なので感想を書きます。 2024-05-01 10:32:34 カステラ @castellabolo 私が非婚非産単身で生きようと決めたのは、普通の女性が普通に働き普通に稼ぎ自分だけの稼ぎで普通に暮らせないのはおかしい、そうしている普通の男性は沢山いるのに。自分の

    役職定年になり、若い頃に決めたことのひとつ「どこまで昇進できるか試してみよう」が終わった女性の話
    ikura_chan
    ikura_chan 2024/05/02
    この境地に自分がたどり着くことができるのか。
  • 荻野吟子について

    荻野吟子は江戸時代末期の嘉永4年(1851年)、現熊谷市俵瀬に生まれました。18歳で結婚しましたが、不慮の病に罹り2年ほどで離婚しました。この時、婦人科の治療を受けたことから、女性医師の必要性を痛感し、医師となることを決意しました。 しかし、当時、女性には医術開業試験の受験が認められておらず、制度改正に奔走しました。その際、「令義解(りょうのぎげ)」という古文書に女医の記述があることを訴えたと言われています。この「令義解」を校訂し、後世に引き継いだのが埼玉の偉人「塙保己一(はなわほきいち)」でした。 こうして吟子は様々な困難を克服し、明治18年(1885年)、医術開業試験に合格、日で最初の公認女性医師となりました。 開業後は、診療活動に加え、婦人解放運動等の社会的活動も担い、女性の地位向上や衛生知識の普及にも大きく貢献しました。大正2年(1913年)、62歳で永眠し、栄光と波乱に満ちた生

    荻野吟子について
    ikura_chan
    ikura_chan 2022/04/04
    このひとの生涯をえがいた映画があってわざわざ遠方に見に行ったんだけど、もうちょっとどうにかしたらヒットしそうなのになと思いました。
  • 日経BP

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    日経BP
    ikura_chan
    ikura_chan 2011/08/13
    コメ欄の女性の会社が凄い。女性の結婚がリスクって、男性だって介護や育児のリスクはあるでしょうに・・。
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