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大阪と建築に関するkatamachiのブックマーク (2)

  • asahi.com(朝日新聞社):ほったらかし赤レンガ倉庫、大阪市民「もったいない」 - 社会

    フェンスで囲まれた築港赤レンガ倉庫=大阪市港区、森井英二郎撮影築港赤レンガ倉庫横で昨年開かれたキャンドルイベント=08年6月、天保山みなアート会提供  文化芸術の拠点にしようと大阪市が約6億円で取得した築港(ちっこう)赤レンガ倉庫(港区海岸通2丁目)が放置されたまま、市民が利用できない状況が続いている。財政難で最大12億円の耐震補強ができず、地震で倒壊する恐れがあるためだ。倉庫に愛着を持つ地元住民らは地区の活性化を目指す。  築港赤レンガ倉庫は元住友倉庫で1923(大正12)年の完成。約9千平方メートルの敷地に4棟が立つ。同地区は大阪港の中心地として船員や船客でにぎわったが、65年ごろから中心が南港に移った。同地区北側の天保山周辺は海遊館などの再開発が先行。市は倉庫を98、99年に約6億円で取得。周辺の土地を含めると約40億円の予算を投入した。  02年度からは外郭団体に委託し、現代美術の

    katamachi
    katamachi 2009/06/24
    80年代から廃線歩きと町歩きで何度も来たし、自分もイベントしたりしたけど、微妙に大阪港駅や天保山から遠くて回遊ルートからも外れる。小樽みたいにできればいいんだけど、活用法や妙案が見いだせないという状態
  • ダイビルの歴史 - 十三のいま昔を歩こう

    ダイビルの歴史 ダイビル解体のカウントダウンはすでに始まっています。市民の反対の声は結局企業のトップには届かなかったのでしょうか。もう少しで取り壊されてしまう大阪の近代名建築「ダイビル」とはいったいどんな歴史をたどってきたのでしょうか。 ポチッと応援お願いします→■人気ブログランキングへ■ ダイビルの始まりは大阪商船(現商船三井、大阪商船は住友系)の社社屋の新築計画が発端です。大正7年に現在の地をビル建築用地として購入。ちょうどその頃、神戸支店の社屋も平行して建築することになり、大正9年に起工、大正11年に完工しています。それが現在も残る商船ビルヂング(設計:渡辺節)です。 大阪商船の社社屋は単に社のオフィスを充てるだけでなく、できるかぎり大きなビルを建築し、余ったスペースを賃貸するという貸室兼業を考えていました。しかしそれを自力で行うにはリスクが伴います。そこで他社にも事業の参画を

    katamachi
    katamachi 2009/03/16
    ダイビル、噂通り、今春で店舗がみんな退出か……。大大阪は4/11。女の子をお茶に誘うのに使ったのを思いだす
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