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宗教と船舶に関するnarwhalのブックマーク (2)

  • 貨狄尊者 - Wikipedia

    貨狄尊者(かてきそんじゃ)または貨狄さま(かてきさま)とは、栃木県の龍江院に安置されていた木像の名称。「木造エラスムス立像」として国の重要文化財に指定されている[1][2][3]。 木造エラスムス立像(伝貨狄像) 【参考】エラスムスの肖像(1526年,アルブレヒト・デューラー作) 概要[編集] 像は栃木県佐野市上羽田町の龍江院に伝来してきた古い木像で、長年、古代中国の伝説上の船の発明者である貨狄[4]の像とされてきた。しかし、1920年(大正9年)に足利市の郷土史家丸山瓦全により「耶蘇教僧木像」と紹介され、更に写真が1924年(大正13年)から2年間、バチカンで催された世界宗教博覧会に「在日キリスト教聖人像」として出品され学者達の注目を集めた。その際のバチカンでの指摘や村上直次郎らの調査によって、この像は1600年(慶長5年)3月16日に豊後国(大分県)の浜辺に漂着したオランダ船リーフ

    貨狄尊者 - Wikipedia
    narwhal
    narwhal 2023/03/19
    「長年、古代中国の伝説上の船の発明者である貨狄の像とされてきた」「この像には、夜な夜なムジナに化けて不気味な歌を歌いながらあたりを徘徊する「小豆研ぎ婆」であるという伝説が残っている」
  • 能登 (船) - Wikipedia

    能登(のと)は、日の奈良時代の船である。761年に遣渤海使船になり、帰りの762年に嵐に遭ったが、無事に帰着した。763年に従五位下の位階と錦冠を授かった。 解説[編集] 天平宝字5年(761年)10月、朝廷は渤海に遣使することを決め、22日に高麗大山を遣高麗使に任命した[1]。能登はこの遣使の船として建造されたらしい。このとき藤原仲麻呂より渤海との軍事協定をとりつける命を帯びていたが失敗におわり、大山は船上で病に倒れた[2]。天平宝字6年(762年)10月1日、船は州に着き、一行は越前国加賀郡で休養をとった[3]。大山の病は癒えず、佐利翼津まで来て亡くなった。 船はふたたび渤海の使者の王新福ら一行を乗せて北陸から出港することになった。その損傷の具合からいったん修理が行われたが、随行するはずの送使・多治比小耳、判官・平群虫麻呂らは渡航をやめ、船師の板振鎌束(いたぶりのかまつか)を筆頭に

    narwhal
    narwhal 2018/07/11
    「帰途に就いたときに風波が急になり、日本海を漂流した。人々は船霊を頼り、無事に国に着いたら必ず朝廷に請い錦冠で報いようと祈った」「漂流の末、隠岐にたどり着いた。…朝廷は能登に従五位下の位を授けている」
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