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社会とラーメンが獣臭いと歴史に関するnarwhalのブックマーク (6)

  • 不良華族事件 - Wikipedia

    不良華族事件の第一報を報じた東京朝日新聞(1933年11月15日付) 不良華族事件(ふりょうかぞくじけん)は、1933年(昭和8年)に発覚した華族の恋愛不倫事件。ダンスホール事件とも呼ばれる。これは上流社会に属する女性らが関わる性的なスキャンダルとして主要新聞に報じられ、登場人物には伯爵夫人や大病院の院長夫人なども含まれていたことで当時広く世間の耳目を集めた[1]。 事件の発端[編集] この事件は1933年(昭和8年)11月13日に赤坂溜池町で開業していた東京屈指の豪華な内装を誇るフロリダダンスホールの主任舞踏教師・小島幸吉が警視庁に検挙されたことに始まる[1]。東京朝日新聞(現在の朝日新聞東京社)は同年11月15日付の朝刊でこの事件を報じた。 朝刊が報じるところによると、小島は「日一の好男子」と自称して女優やダンサー、良家の娘、有閑マダムなど多くの女性と関係を持っていたといい、新聞

    narwhal
    narwhal 2021/10/01
    「主任教師は、自分に女性客を紹介したのは歌人の伯爵吉井勇の妻・徳子であることを自供した。徳子は愛人であった主任教師の愛情と関心を繋ぎ止めるために、友人の有閑マダムを次々と姦通相手として彼に斡旋していた
  • 子どもが不発弾投げて遊ぶ 自衛隊が回収 沖縄 | NHKニュース

    沖縄県宜野湾市で先月、小学生と中学生の2人が学校近くの畑で見つけた不発弾を投げたりして遊んでいたことが分かり、通報を受けた自衛隊が回収しました。 先月30日、宜野湾市の小学校の近くの畑で、この学校に通う男子児童と友人の男子中学生が不発弾を見つけました。 警察や学校によりますと、2人は不発弾を用水路の水で洗ったあと、投げたり自転車のかごに入れて運んだりしたということです。 2人は不発弾を持って友人の家を訪れたところ、その保護者から警察に通報が入り自衛隊によって回収されました。 自衛隊によりますと、不発弾は長さが11.5センチ、重さは640グラムの物の手りゅう弾で、起爆装置にあたる信管は壊れていたということです。 これを受け、小学校と近くの幼稚園は不発弾のようなものを見つけても触らないよう注意を呼びかけるチラシを児童や園児に配りました。 宜野湾市教育委員会指導課の與那嶺哲課長(55)は「一歩

    子どもが不発弾投げて遊ぶ 自衛隊が回収 沖縄 | NHKニュース
  • 元陸軍兵士の老人に聞かされた「戦争が悲惨だと言うのは元々が恵まれた奴だけ」の言葉を巡って様々な見解が飛び交う

    チー @cheetaro3 100歳の元陸軍兵士の老人に「戦争が悲惨だと言ってるのは元々が恵まれてた奴だけだよ。あんたもその口だろ?」と薄笑いを浮かべた表情で言われたことがあるが、あれには心底ゾッとした。 傍目には好々爺にしか見えない彼の一瞬の表情だった 2018-10-08 10:23:47 チー @cheetaro3 一口に戦争と言っても、その時の立場や生活歴によって解釈の仕方がかなりい違う。 学徒出陣で軍隊に入った人は軍隊を「真空地帯」のような陰惨なイメージで語る傾向にあるが、松清張は「初めて門地学歴の差別のない・個人が自己顕示可能な環境を体験できた」(半生の記)と肯定的に描いている。 2018-10-08 10:28:35

    元陸軍兵士の老人に聞かされた「戦争が悲惨だと言うのは元々が恵まれた奴だけ」の言葉を巡って様々な見解が飛び交う
    narwhal
    narwhal 2018/10/10
    「希望は、戦争」
  • 城の床板にこっそり、大工が書いた19世紀フランス農村の赤裸々な秘密 - BBCニュース

    フランス・アルペン地方の城で、床板の裏に大工が書き綴っていた秘密の日記が見つかった。19世紀後半のフランスで、村の住民がどのように暮らしていたかを知る貴重な資料だという。BBCパリ特派員のヒュー・スコフィールド記者が解説する。

    城の床板にこっそり、大工が書いた19世紀フランス農村の赤裸々な秘密 - BBCニュース
    narwhal
    narwhal 2018/07/21
    「当時の村の状況からすると、妻帯している(そしてその分、それほど好色ではないだろうと思われた)牧師というのは、かなり好ましかったのだろう」ww/ « Heureux mortel quand tu me liras je ne serai plus, sois plus sage que moi de 15 ans à 25
  • 魯迅 井上紅梅訳 故郷

    わたしは厳寒を冒して、二千余里を隔て二十余年も別れていた故郷に帰って来た。時はもう冬の最中(さなか)で故郷に近づくに従って天気は小闇(おぐら)くなり、身を切るような風が船室に吹き込んでびゅうびゅうと鳴る。苫の隙間から外を見ると、蒼黄いろい空の下にしめやかな荒村(あれむら)があちこちに横たわっていささかの活気もない。わたしはうら悲しき心の動きが抑え切れなくなった。 おお! これこそ二十年来ときどき想い出す我が故郷ではないか。 わたしの想い出す故郷はまるきり、こんなものではない。わたしの故郷はもっと佳(よ)いところが多いのだ。しかしその佳いところを記すには姿もなく言葉もないので、どうやらまずこんなものだとしておこう。そうしてわたし自身解釈して、故郷はもともとこんなものだと言っておく。――進歩はしないがわたしの感ずるほどうら悲しいものでもなかろう。これはただわたし自身の心境の変化だ。今度の帰省は

    narwhal
    narwhal 2013/11/05
    訳が違うけどひさしぶりに読んだ。しかし、こんなの中学生に分かるかよ…
  • ルンペンプロレタリアート - Wikipedia

    ルンペンプロレタリアート(独: Lumpenproletariat)とは、カール・マルクスが使用した用語で、プロレタリアート(労働者階級)のうち階級意識を持たず、そのため社会的に有用な生産をせず、階級闘争の役に立たず、更には無階級社会実現の障害となる層を指す呼称[1]。略して「ルンプロ」ともいう。 ルンペンプロレタリアート(Lumpenproletariat)の用語は、「襤褸(ぼろ)、浮浪者、悪漢」などを意味する「ルンペン」(独: lumpen)と、労働者階級を意味する「プロレタリアート」(独: proletariat)より作られた。 マルクスにおける評価[編集] カール・マルクスは、『共産党宣言』(1848年)や『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』(1852年)において、無産階級や労働者階級の中でも革命意欲を失った極貧層を「ルンペンプロレタリアート」と定義した。中でも『ルイ・ボナパル

    ルンペンプロレタリアート - Wikipedia
    narwhal
    narwhal 2013/10/19
    「あらゆる階級の中のクズ、ゴミ、カス」
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