天津条約(てんしんじょうやく、英語: Treaty of Tianjin)は、中国の天津において、清国と諸外国間に締結された17条約の通称。 概要[編集] 1856年に始まったアロー戦争で英仏連合軍が広州を占領し、その後さらに北上して天津を制圧したため、清朝が天津でロシア帝国・アメリカ合衆国・イギリス・フランスの4国と結んだものである[1]。 特にイギリスとの間に結ばれた条約は56条にも及ぶ外国の特権を規定しており、それ以後の不平等条約の原型となった[1]。 締結[編集] 清朝側代表は大学士桂良であった。 まず清朝はロシアと1858年6月13日に締結、その後6月18日にアメリカと、さらに6月26日にイギリス、6月27日にフランスと締結した。 条約の内容[編集] 主な内容は以下の通りである[1]。 軍事費の賠償(イギリスに対し400万両、フランスに対し200万両の銀) 外交官の北京駐在 外国