「私のための宴会で初めて飛行士の人肉が試食された」 この事件に関する新聞記事は極端に少ない。その中で、戦後間もない1947(昭和22)年1月14日の東京朝日(東朝、この時期は各紙とも朝刊のみ2ページ立て)2面3段、1946年5月3日に開廷した日本の戦争責任を裁く極東国際軍事裁判(通称東京裁判)の公判内容を報じた「東京裁判」のワッペン付き囲み記事を見つけた。 前年12月から日本軍によるアジア全域での残虐行為の立証が集中的に進められ、年明けからは捕虜虐待事件が広範に取り上げられていた。「父島事件」もその1つだったようだ。記事の見出しは「會(会)食に米飛行士の人肉試食 的場少佐の『父島の残虐』尋問書」。的場少佐とは、父島駐屯の独立混成第一旅団に所属する独立歩兵第308大隊長・的場末勇陸軍少佐のことだ。 記事の見出しには「人肉試食」とある 1947年1月14日東京朝日新聞より 問 同島(小笠原父島