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思想に関するniwakano18124のブックマーク (15)

  • 大衆の反逆 - Wikipedia

    『大衆の反逆』(Der Aufstand der Massen、スペイン語:La rebelión de las masas)は、スペインの哲学者ホセ・オルテガ・イ・ガセットにより、1929年にスペイン語で出版されたエリート文化論・社会学考察。 1931年にドイツ語に翻訳された。世界経済危機という先の見えない時代に、オルテガ・イ・ガセットは書で大衆文明の社会学的診断を提示した。彼は貴族的なアプローチから大衆の現象を分析してみせる。 オルテガは、平均的な人がもはや受動的かつ従順に行動しなくなっていることを否定的なものとみなし、世界と人生がこの大衆に開かれているという事実に危険性を感じている。 大衆の出現は社会の非道徳化につながっている。その一方、オルテガは、大衆の台頭による生活水準の向上と一般的な知的レベルの向上について述べ、衰退という文化の悲観主義に対置させている。オルテガは自己奉仕的な

  • 現代フェミニズムの正体|神崎ゆき

    ※ 購入後、返金申請が可能な記事です。

    現代フェミニズムの正体|神崎ゆき
  • 「左翼政党は“エリートのための党”になった」は本当か? その問題を考えるための「様々な前提」(網谷 龍介) @gendai_biz

    『21世紀の資』で一躍世界的に有名になったフランスの経済学者トマ・ピケティの新著『資とイデオロギー』の刊行後、現在の先進国社会における政治的対立の構図をめぐる議論が盛んに行われている。 このエッセイでは、ピケティの著書そのものを議論する前提として、近年の比較政治研究において明らかになっているいくつかの事実と論点を紹介しておきたい。ピケティの著書は、彼独特の大規模なデータ収集と独自の分析によっているものの、比較政治研究の蓄積とのかみ合わせに意が払われているわけではない。 また、これらの議論が多分に政治的関心とともに行われているため、議論はしばしば単純化された路線対立の形をとり、経験的研究が明らかにしているニュアンスが捨象されがちである。しかし、十分に腑分けされた知見を基礎としなければ、政治的主張も誤ったものになる。そこでエッセイでは「ピケティを読む前に」「ピケティをより良いかたちで理解

    「左翼政党は“エリートのための党”になった」は本当か? その問題を考えるための「様々な前提」(網谷 龍介) @gendai_biz
  • 【正義論とは】二つの原理・無知のヴェールから批判までわかりやすく解説|リベラルアーツガイド

    正義論(A Theory of Justice)とは、アメリカの哲学者ジョン・ロールズの著作『正義論』で展開した、現代の実際の社会の中で「正義」を現実にすることを構想した思想のことです。 ロールズ以前や以後にも正義について論じられたことあはりますが、正義論と言われるのは主にロールズの思想だとお考えください。 ところで、あなたは、現代社会が完全に平等で公正な社会だと思いますか?多くの方は「いや格差社会だ」「不平等だ」と言われるのではないかと思います。 このような時代に生きる私たちにとって、ロールズが提起した「正義とは?」「真に平等で公正な社会とは?」という議論はとても意義のあるものです。 そこでこの記事では、 正義論とは何か? 正義論ではどのように「平等・公正な社会」を構想したのか? 正義論における「原初状態」「無知のヴェール」「二つの原理」とは何か? 正義論はどのように批判されたか? とい

    【正義論とは】二つの原理・無知のヴェールから批判までわかりやすく解説|リベラルアーツガイド
  • 千田有紀「「女」の境界線を引きなおす:「ターフ」をめぐる対立を超えて」(『現代思想3月臨時増刊号 総特集フェミニズムの現在』)を読んで - ゆなの視点

    (査読のない商業誌である『現代思想』に掲載されるのは「論文」ではなく「論考」だろうというご意見をいただきました。こういう文章をどう呼ぶべきかわからず「論文」と書いてしまいましたが、そのために誤った印象を与えてしまったかもしれません。申し訳ありません。) この記事では、『現代思想3月臨時増刊号』に掲載された千田有紀氏の「「女」の境界線を引きなおす:「ターフ」をめぐる対立を超えて」を取り上げ、ひとりのトランス女性としての視点から批判します。いろいろと語りたいことがあるのですが、以下ではまず第一節で、千田氏の基的な議論を要約し、その範囲に焦点を絞って反論をします。千田氏の論文の概要を知りたいだけという方は、ここだけ見ていただければ結構です。第二節では、詳細に千田氏の議論を検討し、どこでどのような問題が生じているのかをかなり細かく見ていこうと思います。第三節はおまけ的な内容で、そこではこの論文が

    千田有紀「「女」の境界線を引きなおす:「ターフ」をめぐる対立を超えて」(『現代思想3月臨時増刊号 総特集フェミニズムの現在』)を読んで - ゆなの視点
  • 第4回 選挙も顔が命です

    左翼が来持っていたダイナミズムが失われて久しい。いまや自壊した左翼は「大同団結」を唱え、そのための合言葉を探すだけの存在になってしまった。怠惰な団結をきれいに分離し、硬直した知性に見切りをつけ、横断的なつながりを模索すること。革命の精神を見失った左翼に代わって、別の左翼(オルタナレフト)を生み出すこと。それがヘイト、分断、格差にまみれた世界に生きる我々の急務ではないか。いま起きているあまたの政治的、思想的、社会的事象から、あたらしい左翼の可能性をさぐる連載評論。 お盆休みに大阪の実家に帰省したとき、70代の父親に参院選はどこに投票したのか、なんとなく聞いてみた。投票先を聞き出すのはあまりよくないのかもしれないが、いっときの勢いを失ったとはいえ、いまだ維新の会が強い大阪の情勢を少しでも知りたいと思ったからだった。普段から保守的な言動が多い父の口から出たのは、意外にも、革新系の候補者の名前だ

    第4回 選挙も顔が命です
  • ホタテはヴィーガンなのか?

    完全菜主義(ヴィーガニズム)のルールは、一見かなり明確だ。完全菜主義者であるヴィーガンは、動物由来の品をいっさい口にしない。つまり、彼らは肉だけでなく、ゼラチンなどの畜産副産物も控える。しかし、ヴィーガンの目的は人それぞれだ。動物愛護を声高に訴える者もいれば、熱心な環境保護主義者、そして健康や宗教上の理由から野菜中心の生活を選ぶ者もいる。さらに、目的以上に曖昧なのが、ヴィーガニズムを実践するさいのルールだ。蜂蜜をべたり、古着の革製品を身につけるヴィーガンもいれば、それらを完全にタブー視するヴィーガンもいる。 そして今、シーフードをヴィーガンと主張する〈シーガン(seagan)〉運動によって、状況はますます複雑になっている。シーガンはこう問いかける。新たな発見や解釈を通じて、生活のあらゆる面において社会的定義や分類が変化してきたのに、私たちはなぜ、二枚貝はヴィーガンに当てはまら

    ホタテはヴィーガンなのか?
  • 『三島由紀夫の憂国忌』

    まもなく三島由紀夫の命日だが、三島由紀夫が死んだ日は、70年6月の反安保闘争も終わり、私はたまたま大阪に戻っており、実家の座敷で眠っていた。私がまだ微睡みの中にある時、これは個人的なことだが、当時、まだ43歳だった母親(今は86歳)が私の枕元へ「三島が自衛隊に乱入した」というニュースを、少し間を置いて「自決した」ことを伝えてくれたのだった。士族の家の出の母親は何かを感じることがあったのかもしれない。20歳のアナキストだった私は、偶然にも、三島の『憂国...』を取り上げて、彼の言う「エロスと大義の相乗」についての稚拙な一文を書いた直後だった。 その後、三島については幾つかの文を、『情況』や『現代の眼』、正式に再刊された中野正剛の東方会の機関誌『東大陸』その他に書き、また三島の若き日の精神の師でもある蓮田善明を知り、一時期、ドイツのエルンスト・ユンガーと、蓮田善明、三島由紀夫の文武両道の三人を

    『三島由紀夫の憂国忌』
    niwakano18124
    niwakano18124 2019/04/25
    「昭和天皇が皇位において継承する神武天皇としての「始原の天皇」を、昭和天皇の治世期における「今上帝」としての実存に対して抽出することとしてなされるべき」
  • オルタナ右翼の源流ニック・ランドと新反動主義 - Mal d’archive

    イギリスの哲学者ニック・ランド(Nick Land)は、2012年、ネット上に「暗黒啓蒙(The Dark Enlightenment)」*1というテキストを発表し、新反動主義(Neoreaction:NRx )の主要人物の一人になった。詳しくは後述するが、この新反動主義のエッセンスがオルタナ右翼の中にも流れ込んでいるとされている。そのもっとも直截な例は、オルタナ右翼系メディア『ブライトバート』(Breitbart)の元会長であり、またドナルド・トランプの元側近でもあるスティーブ・バノンで、彼は「暗黒啓蒙」のファンであったことを公言している*2。 ■ニック・ランドの思想 ニック・ランドは、もともと大陸哲学とフランス現代思想の研究からスタートしており、初期にはジョルジュ・バタイユに関する著書もあるが、90年代中頃になると、のちに「加速主義(accelerationism)」と呼ばれることにな

    オルタナ右翼の源流ニック・ランドと新反動主義 - Mal d’archive
  • ネガティブ功利主義とは - The Real Argument Blog

    ネガティブ功利主義(Negative utilitarianism)とは ネガティブ功利主義(Negative utilitarianism)とは、功利主義の中でも幸福を増加させることより苦しみを最小化することに圧倒的な優先度があると考える立場である。 その優先度は立場によって差異があり、幸福促進は倫理的に一切の重要性を持たないと考える立場もある。 以下、このネガティブ功利主義という倫理的立場について解説するが、まず第一に注意しなければならないのは、ネガティブ功利主義はあくまで功利主義の一派であり、苦しみを最小化することに優先度を置く立場の全てがネガティブ功利主義に分類されるわけではない、ということである。 Contents: 1. ネガティブ功利主義という名称の由来 2. ネガティブ功利主義の分類 3. アンチナタリズムとの関係 4. 義務論との関係 5. ネガティブ功利主義の帰結 1.

    ネガティブ功利主義とは - The Real Argument Blog
  • 杉田水脈議員はなぜLGBTを蔑視するのか?(古谷経衡) - エキスパート - Yahoo!ニュース

    東京ゲイパレード(2012年)。パレードと杉田議員の主張は当然正反対のものです。(写真:Rodrigo Reyes Marin/アフロ) ・杉田議員の”LGBTは生産性がない”寄稿が大きな波紋 杉田水脈自民党議員(比例中国選出)が、月刊論壇誌へ「LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子どもを作らない、つまり生産性がないのです」などと記述したことが大きな波紋・物議を醸している。 この問題は7月21日付の毎日新聞で報じられ、LGBT団体(LGBT法連合会)が抗議声明を出すなど、波紋は広がっている。問題となった杉田議員の月刊誌の寄稿内容についての個別の誤謬は、千葉商科大学国際教養学部専任講師の常見陽平氏によって詳細な分析・批判がなされているので、ここではあえて再度の点検を試みない。 ・LGBTへの蔑視的世界観は杉田議員の十八番的主張 実のところ私は、

    杉田水脈議員はなぜLGBTを蔑視するのか?(古谷経衡) - エキスパート - Yahoo!ニュース
    niwakano18124
    niwakano18124 2018/07/25
    単純にウケるキーワードだから?「父性の復権と日本の再生がどう相関するのだろうか。何度読んでも、杉田の主張は私には支離滅裂と映る」
  • ヴィーガニズムは正しい。正しいがゆえにそれは人類社会の敵である

    フェミニストが乳製品を摂ることは矛盾か、という議論が喧しい。 https://togetter.com/li/1194767 http://sutaro.hatenablog.jp/entry/2018/01/29/162209 http://davitrice.hatenadiary.jp/entry/2018/01/30/152800 はじめに言っておくと、わたしはヴィーガニズムやアニマルライツには明白に反対である。しかし、それらを一部のバカによる寝言だとは思わない。むしろヴィーガニズムは正しいと思っている。いや、より正確に言うならば、ヴィーガニズムは正しすぎるがゆえに問題なのだ。 ヴィーガニズムへの反対に理屈をつけようとすると、かなり高い精度でブーメランとなって戻ってくる。人間と動物は違う! 白人と黒人、男と女を代入して同じことが言えるだろうか? 人間は他の動物より賢い! 男が力強い

    ヴィーガニズムは正しい。正しいがゆえにそれは人類社会の敵である
    niwakano18124
    niwakano18124 2018/07/13
    勇気ある差別者宣言か。
  • ピーター・シンガーの「利益に対する平等な配慮」の原理 - 道徳的動物日記

    ピーター・シンガーが『動物の解放』で行った主張の要点は、以下のようなものである。 「動物は、人間と同じように、道徳的な配慮の対象となる」 「現在の社会において人間が動物たちに行っていること(畜産や動物実験など)は、人間の利益を優先して動物に配慮せず、動物を利用して多大な苦痛を与えて殺害をしているので、非道徳的である」 「人間の利益を“人間だから”という理由で優先して、動物には“動物だから”という理由で配慮しないことは、その存在が属している生物種によって配慮するかしないかを非合理的に選択する、種差別(生物種による差別)である。これは、白人の利益を“白人だから”という理由で優先して、黒人には“黒人だから”という理由で配慮しないという、人種差別と同じような問題である」 「動物への配慮は、人間の弱者への配慮と同じように、正義と平等の原理が要求する問題である。正義と平等の問題であるということは、動物

    ピーター・シンガーの「利益に対する平等な配慮」の原理 - 道徳的動物日記
  • https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/48440/1/75_31.pdf

    niwakano18124
    niwakano18124 2017/09/24
    本居宣長と上田秋成の論争など
  • ユートピア / 科学から空想へ(3)ランボオ、宮沢賢治

    脱原発神話 第8章 ユートピア / 科学から空想へ(3) ・・・ランボオ、宮沢賢治 [2012/4/22] こんなところでグダグダと原子力を論じていても無意味、という思いがいつも浮かんでくる。まあ、ただの自己満足なのは確か。当は、養老孟司先生の『バカの壁』にひとり、落書きしているような気分なのだ。 なぜここでランボオや宮沢賢治なのか? それがわたしの原発問題へのアプローチだからだ。それだけのこと。 ランボオは「言葉の虚偽」と訣別した 前章で、宮沢賢治は農業で暮らしていこうと考えていたわけではない、と書いた。これには反論があるかも知れない。花巻農学校の教師を辞めてじぶんで耕作を始めた。農民同志をあつめた羅須地人協会をつくって農業技術の指導や文化の啓蒙活動を起こそうとした。肥料の設計や病害対策に東奔西走した・・・ではないかと。わたしに言わせれば、それは農民としての生き方とは似て非なるものだっ

    ユートピア / 科学から空想へ(3)ランボオ、宮沢賢治
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