声優のTARAKOさん急死 63歳 「ちびまる子ちゃん」を35年 最近までアフレコ参加
鳥山さんは、1982年に放送された漫画を特集したNHKの番組でインタビューに答えていました。この中で、連載開始から2年で大ヒットを続けていた「Dr.スランプ」について、当時27歳の鳥山さんはこう話していました。 「あまりブームにはならなかった方がよかったと思っています。騒がれるのはいやですから。地道に漫画だけ描いていたかったです。それなりにうれしいですけど。たまたま発明ものを描いて、これがいけるんじゃないかということで決まっただけで、特にこれを描きたいとかはなかったです。10週続けばいいほうだと思っていました。『Drスランプ』の人気はもう終わってもいい頃だと思っています。僕もまた違ったものも描きたいですし、それだけに決めつけられてしまうのもいやですから。一生懸命描いていますけど、違ったものも描きたいという感じです」 1984年に連載を始めた「DRAGON BALL」は、主人公の孫悟空が「か
漫画家の石井いさみ先生が2022年9月17日、急性心不全のためご逝去されました。 享年80歳でした。 ご葬儀はご遺族ご友人におかれまして既にしめやかに執り行われております。 石井いさみ先生は1957年「たけうま兄弟」(講談社)でデビューされ、 弊社『まんが王』誌で68年から連載された「のら犬の丘」や 「くたばれ!! 涙くん」(小学館 69年)などのヒット作を数多く発表されたのち、 弊社『週刊少年チャンピオン』75年40号から 名作「750(ナナハン)ライダー」の連載を開始されました。 「750ライダー」はバイクを愛する少年・早川光と仲間たちの瑞々しい日々を描いて大ヒットし、連載9年、少年チャンピオン・コミックス50巻となる青春漫画の金字塔として、 今も多くの読者に愛されています。 その後も「チック・タク」などの佳品を同誌でお描きになられ、読者の皆様に多大な喜びを届け続けてくださいましたこと
『ブレードランナー』や『炎のランナー』などの映画音楽も担当したギリシャの作曲家・シンセサイザー奏者のヴァンゲリス(Vangelis)が死去。英ガーディアン紙や米ワシントン・ポスト紙によると、彼の代理人は、治療を受けていたフランスのパリの病院で5月17日に亡くなったと伝えています。詳しい死因は明らかにされていませんが、ギリシャのニュースサイトINは新型コロナウイルスの治療を受けている最中だったと報じています。ヴァンゲリスは79歳でした。 ヴァンゲリスことエヴァンゲロス・オディセアス・パパサナスィウは、1943年3月ギリシャのヴォロス生まれ。父は画家、母はシンガーという芸術一家に育ち、4歳からピアノを始める。60年代前半にFORMYNXというポップ・バンドを結成して、音楽活動を本格的に始める。1968年にはデミス・ルソス、ルカス・シデラスとともにアフロディテス・チャイルドを結成。パッヘルベルの
映画「ゴジラ」や、ミュージカルなどで知られる俳優宝田明(たからだ・あきら)さんが急逝したことが17日、分かった。87歳。1953年に芸能界入りして以来、さまざまな作品に出演した。今月10日には、映画「世の中にたえて桜のなかりせば」(三宅伸行監督、4月1日公開)の完成披露舞台あいさつに出席し、映画制作への飽くなき意欲を明かしていたばかりだった。 宝田明さんが大事にしていた「体の中にあるリズム」話題尽きなかったミュージカル話>>宝田さんは今月10日の舞台あいさつで、車いすに乗って登壇した。「腰痛をずっと患っておりまして、ここのところ痛みが激しくなりまして。まずはこの非礼をまずお許しくださればと思います」と説明していた。複数の関係者によると近年、入退院を繰り返していたという。今月13日に容体が急変し、同日深夜から14日の未明ごろに亡くなったという情報もある。 53年東宝ニューフェイス6期生として
ジョン・マカフィー被告(2016年8月16日撮影、資料写真)。(c)Fred DUFOUR / AFP 【6月24日 AFP】(更新、写真追加)米インターネットセキュリティー大手マカフィー(McAfee)創業者のジョン・マカフィー(John McAfee)被告(75)が23日、収容されていたスペインの勾留施設で死亡しているのが見つかった。自殺とみられる。当局者が明らかにした。同被告は米国で脱税の罪で起訴されており、スペインの裁判所は同日、米国への身柄引き渡しを認めていた。 マカフィー被告は昨年10月にスペイン・バルセロナ(Barcelona)の空港で身柄を拘束され、勾留されていた。2014年から18年にかけて1000万ユーロ(約13億円)以上の所得を意図的に申告しなかったとして米国で起訴され、有罪となれば最高で禁錮30年を言い渡される可能性があった。(c)AFP
田中内閣退陣のきっかけになったと言われる「田中角栄研究」をはじめ、政治や科学、医療など幅広いテーマで取材や評論活動を行ってきたジャーナリストでノンフィクション作家の立花隆さんが、ことし4月、急性冠症候群のため亡くなりました。80歳でした。 立花隆さんは昭和15年に長崎市で生まれ、東京大学を卒業したあと出版社の文藝春秋に入社しました。 入社から2年余りで出版社を離れたあとも取材活動や記事の執筆を続け、昭和49年に現職の総理大臣だった田中角栄氏の金脈問題を膨大な資料を検証して追及した「田中角栄研究」を発表して大きな反響を呼び、田中内閣が退陣するきっかけになったと言われています。 その後も鋭い着眼点と徹底した取材をもとにしたルポルタージュを次々と発表し、扱うテーマも政治だけでなく、最先端の科学や医療、宇宙や脳死など多岐にわたり、「知の巨人」と称されました。 平成7年からは東京大学の客員教授を務め
サイトでは「三浦先生の画業に最大の敬意と感謝を表しますとともに、心よりご冥福をお祈りいたします」と追悼し「なお告別式はご家族にて執り行われました」と報告。 「三浦先生には、永年にわたり白泉社で『ベルセルク』をはじめとする人気作品の数々をご執筆いただきました。現在もヤングアニマルにて同作を、一昨年からはヤングアニマルZEROで『ドゥルアンキ』を連載中でした」と記し「読者の皆様には、三浦先生の作品をご愛読いただきましたことを深謝いたしますとともに、謹んでご逝去のご報告をお知らせ申し上げます」と伝えた。 ヤングアニマル編集部一同としてのコメントも掲載。「三浦建太郎先生の突然の訃報に接し、ヤングアニマル編集部は深い悲しみに包まれています。この受けいれがたい事実をどのように捉えたらいいのか。正直、言葉が見つかりません。思い出されるのは、編集部の人間に会うと、いつも朗らかにご自分の好きな漫画やアニメ、
日本を代表するフュージョンバンド「T-SQUARE」でピアノやキーボードを担当した和泉宏隆(いずみ・ひろたか)さんが、4月26日に急性心不全のため死去したことを28日、公式サイトが伝えた。62歳。東京都出身。 同サイトは「和泉宏隆は、令和3年4月26日に62歳にて急性心不全により永眠しました。ここに謹んでお知らせ申し上げますとともに生前中賜りましたご厚誼に心より御礼申し上げます。和泉宏隆と和泉宏隆の音楽はいつまでも生き続けます、みなさまとともに。」と記した。 和泉さんは1982年にT-SQUAREの前身バンド「THE SQUARE」に加入。バンドのヒット曲「OMENS OF LOVE」(85年)や「TAKARAJIMA宝島」(86年)、「EL MIRAGE」(88年)などを作曲した。これらの曲は吹奏楽の演奏曲としても定番となった。 98年に脱退後もソロのピアニスト、キーボーディストとして活
素材やジャンルにとらわれない「新日本料理」を提唱し、テレビでも活躍した料理研究家の神田川俊郎(かんだがわ・としろう、本名・大竹俊郎)氏が25日、大阪市内の病院で死去した。81歳だった。 16日に自宅で体調を崩し病院に搬送された後、新型コロナウイルスの感染が判明し、治療中だった。葬儀・告別式は親族、関係者で行い、後日、お別れの会を開く予定。 昭和14年、京都府生まれ。17歳で料理人を目指し、大阪・今橋にあった老舗料亭「なだ万」などで修業。22歳でおでん屋「ふく柳」を開く。昭和40年に大阪・北新地に日本料理店「神田川本店」を開店した。名前は、京都市内で父が営んだ鰻(うなぎ)屋の屋号「神田川」にちなみ、オーナーとして複数の店舗を展開した。 一流料理人が対決する人気番組「料理の鉄人」(フジテレビ系)など数々のテレビ番組に出演した。農林水産省の日本食普及親善大使も務めた。全日本調理師協会の名誉会長。
米トークショー司会者のラリー・キングさん(2011年9月22日撮影)。(c)SAMUEL KUBANI / AFP 【1月23日 AFP】米国のテレビ・ラジオで活躍した大物司会者で、60年のキャリアを通じ、さまざまな人物をインタビューしたラリー・キング(Larry King)さんが23日、死去した。87歳だった。 キングさんが共同創業者のメディア企業オラ・メディア(Ora Media)は死因に言及しなかったが、メディア各社はキングさんがここ数週間にわたり新型コロナウイルス感染症を患い、近年は複数の健康問題に悩まされていたと報じている。 サスペンダーと黒縁眼鏡がトレードマークのキングさんは、25年にわたり司会を務めたCNNテレビのトークショー「ラリー・キング・ライブ(Larry King Live)」で最も良く知られていた。(c)AFP
こん平さんは1958年に林家三平に入門。62年に二ツ目昇進、72年に真打昇進。二ツ目時代から『笑点』など、テレビ・ラジオに出演し、「1、2、3、チャラ~ン」のあいさつで親しまれた。05年に多発性硬化症を公表し、06年5月には『笑点』の大喜利メンバーの座を弟子の林家たい平(56)に引き継いだ。15年8月には日本テレビ系『24時間テレビ38 愛は地球を救う』内で放送された『チャリティー笑点』に生出演。11年ぶりにメンバーと並んで共演を果たしていた。 卓球が得意なことでも知られ、三遊亭小遊三と共に「らくご卓球クラブ」を創設。1998年マンチェスターにおいて「世界ベテラン卓球選手権」に出場し、2000年5月のバンクーバー大会にも出場した。
サッカーの元アルゼンチン代表で、1986年のワールドカップでアルゼンチンを優勝に導いたことでも知られる、ディエゴ・マラドーナ氏が25日、60歳で亡くなりました。 アルゼンチン政府は3日間、全土で喪に服すことを決めました。 マラドーナ氏は1960年、アルゼンチンの首都、ブエノスアイレスに生まれました。 現役時代はその卓越した技術から「神の子」とも呼ばれ、1982年から4回連続でワールドカップにアルゼンチン代表として出場し、サッカー史上、世界最高の選手の1人として知られていました。 1986年のワールドカップ・メキシコ大会では準々決勝のイングランドとの試合で、ドリブルで相手の5人の選手を抜いてゴールを決めた「5人抜き」や、ヘディングと見せかけて左手でシュートを決めた「神の手ゴール」など伝説のプレーを残し、チームを優勝に導きました。 また、イタリアの1部リーグ「ナポリ」などでも活躍し、世界的な名
【ロンドン共同】英BBC放送によると、人気映画「007」シリーズの初代ジェームズ・ボンド役で知られる英俳優ショーン・コネリーさんが滞在していた大西洋の島国バハマの自宅で死去した。90歳だった。家族が明かした。体調を崩しており、眠っている間に息を引き取った。死因は伝えていない。 1930年、英スコットランドのエディンバラに生まれ、シリーズ第1作「ドクター・ノオ」(62年)を皮切りに初代ボンド役を務めた。年齢を重ねていぶし銀の魅力を増し「アンタッチャブル」(87年)でアカデミー賞助演男優賞。「レッド・オクトーバーを追え!」(90年)など多数の作品に出演した。
「ジャンプ」や「パナマ」など1980年代を中心に多くのヒット曲を生み出したアメリカの人気ロックバンド「ヴァン・ヘイレン」のギタリストとして活躍したエディ・ヴァン・ヘイレンさんが6日、亡くなりました。65歳でした。 アルバム「1984」では、シングルカットされた「ジャンプ」が日本を始め、世界的なヒットとなりました。 エディさんは、右手でギターの弦を押さえる「ライトハンド奏法」と呼ばれる独特の演奏法でも人気を集め、1983年に発表されたマイケル・ジャクソンさんの「今夜はビート・イット」にも参加するなど、その後のギタリストに大きな影響を与えました。 6日、息子がみずからのツイッターに「がんで闘病中だった父がけさ亡くなりました。心が壊れ、いつこの喪失感から立ち直れるかわかりません。とても愛しています」と投稿し、ファンからは偉大なギタリストの死を悼む投稿が相次いでいます。 「ヴァン・ヘイレン」のエデ
タレントの轟二郎さん(本名・三浦康一=みうら・こういち)が今月2日午前7時15分、大腸がんのため神奈川県内の病院で亡くなっていたことが6日、分かった。65歳。葬儀・告別式は近親者で行った。喪主は妻ゆかりさん。 この日、公式ブログで「大腸がんを患ってから1年半ほどの闘病でした。葬儀は8月6日に親族のみで相済ませました。今後は永遠のチャレンジボーイとして天国でもさまざまな挑戦をしてくれていることと思います」などと報告された。 轟さん自身も公式ブログでがんとの闘いを公表していた。2月には、手の施しようがなく摘出手術ができないと医者に告知されたとして「ボキがガン?…が~ん!」とつづっていた。 静岡県三島市出身。スタントマンから芸能界に入り、日本テレビ系「うわさのチャンネル」に出演したことで人気を獲得。同局系「びっくり日本新記録」では、スタントマンの経験を生かし、チャレンジボーイとしてレギュラー出演
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