私がまだ朝日新聞にいた時に、先輩が「ジャーナリストの仕事はこういうもんだ」と教えてくれた言葉がある。1985年の入社式で、当時の一柳東一郎社長が新入社員たちに語った。先輩は新入社員としてその場にいた。 「権力の抑圧によって筆を曲げるよりは、筆を折る、つまり死を選ぶくらいの気概を秘めた企業だということを、諸君もハラの中に入れておいてほしい」 感心する反面、そんな気概がある人なんて、もはや周囲にはいなかった。絶滅危惧種だ。実際、2014年には従軍慰安婦報道への対応と原発吉田調書の記事取消事件で、朝日新聞はどんどん萎縮していった。 私が2015年4月に出した「製薬マネーと医師」の記事は、スポンサーである製薬会社を気にして社内でハレーションが起きた。朝日新聞はキャンペーンを打ち切った。上司たちの弁は「俺たちはパンドラの箱を開けてしまった」「社内からも猛抗議が来ている、営業が立ち行かなくなる」だった