Published 2022/03/28 18:48 (JST) Updated 2022/03/28 18:56 (JST) 日本を代表する建築家、黒川紀章さんの傑作として知られる「中銀カプセルタワービル」(東京・銀座)が老朽化のため解体されることになり、4月12日から工事が始まることが28日、関係者への取材で分かった。 分譲マンションとして1972年に完成したビルは、黒川さんらが提唱した建築理論「メタボリズム」の象徴。計140個の住居用「カプセル」を凹凸を成すように取り付け、当初は新陳代謝するように25年ごとに取り換える構想だった。しかし、実際には手付かずのまま老朽化し、大規模修繕も行われなかった。
Published 2022/03/16 10:27 (JST) Updated 2022/03/16 13:33 (JST) 【パリ共同】フランス・パリの観光名所エッフェル塔の先端に新たなアンテナが15日設置され、塔の高さがこれまでの324メートルから330メートルに伸びた。運営会社は「鉄の貴婦人」の異名を持つ首都のシンボルにとり「歴史的な日だ」と評した。 この日は雨がぱらつく中、ヘリコプターで地上デジタルラジオ放送用のアンテナをつり上げ、先端部で待ち受けた作業員が設置作業を行った。 エッフェル塔は1889年5月に開幕したパリ万博のために建設された。当初の高さは約312メートルで、その後アンテナなどの設置で1957年に約321メートル、2000年に324メートルとなった。
先週末はTwitter近代建築界隈で話題になっていた台東区下谷にある旧坂本小学校の解体前の見学会に行ってきた。 『旧坂本小学校』は下谷区入谷尋常高等小学校新校舎として1926年竣工、鉄筋コンクリート造3階建てで、設計者は阪東義三(東京市営繕課)、施工者は長谷川精二郎と伝えられる。*1「復興小学校」とひとくくりにされることも多いが、関東大震災以降の土地区画整理事業の対象区域外だったので正確には「改築小学校」と分類されるのだそうだ。 プランはコの字型で、中央に屋外運動場を備えている。片廊下型で教室群は全て屋外運動場に面して配置され、劇場のように中庭を囲んでいる。ちなみに復興小学校の配棟計画はコの字の他、L字、ロの字のいずれかになっていることが多い。 左:エントランス側、右:中庭側 昇降口に入ると、正面の三連の尖頭アーチを抜けて屋外運動場に繋がる。この三蓮の尖頭アーチは、エントランスと同じ軸線上
■ SNS(インスタグラム TIKTOK等)で 不法侵入している画像や動画が 公開されております。 不法侵入は立派な犯罪行為です。 不法侵入という犯罪行為の画像や動画を堂々と公開していることに 驚きを隠せませんが・・・ なにとぞ 不法に敷地内に入られることは避けていただけるよう お願いいたします。 ( 令和4年11月2日 現在 ) ■ メディア関係の皆様。 TVの放映や取材の仲介を依頼される場合がございますが、 所有者のお子様は、メディア関係含めすべてにおいて、 お断りされていますので ご了承くださいますようお願い申し上げます。 ■ 幻庵は 没 E氏の所有となっております。 現在そのお子様が 定期的にお手入れされております。 E氏の了解なしに 敷地内に立ち入る(不法侵入)ことが散見されているとのことです。 敷地内のコケは、E氏の忘れ形見と 伺っております。 なにとぞ 不法に敷地内に入られる
Published 2021/12/19 22:00 (JST) Updated 2021/12/19 22:15 (JST) 英国の世界的建築家でパリのポンピドーセンターなどを設計したリチャード・ロジャース氏が18日、ロンドンの自宅で死去した。88歳だった。死因は不明。英メディアなどが伝えた。 1933年、イタリア・フィレンツェ生まれ。ロンドンの建築大学や米イエール大学大学院で学んだ。代表作は現代芸術の拠点として知られ、77年に開館したパリの文化施設ポンピドーセンターや、欧州人権裁判所(フランス・ストラスブール)など。BBC放送は「世界で最も成功し影響力のある建築家の一人」と伝えた。 2000年に建築界のノーベル賞といわれる米プリツカー賞を受賞した。(共同)
ハットルグリムス教会の正面口 ハットルグリムス教会(アイスランド語:Hallgrímskirkja, ハトルグリムスキルキャ)は、アイスランドの首都レイキャヴィークにあるルター派の教会である。建物はコンクリート製で、73メートルの高さのある塔を備え、アイスランドでもっとも大きな教会である。Smáratorg Towerができるまではもっとも高い建物でもあった[1]。教会の名前はアイスランドの聖職者であり詩人であるHallgrímur Péturssonの名前にちなんでつけられている[2]。 概要[編集] ハットルグリムス教会はレイキャヴィークの中心部に位置し、町のどこからでも見ることができるランドマークになっている。en:Guðjón Samúelssonが1937年に設計を依頼された。彼曰く、教会のデザインはアイスランドの溶岩玄武岩の風景になぞらえているのだという[3]。デンマークのグル
二度とその扉が開くことはないと思っていた旧亀岡商工会館で、4日間だけのアート展示「空白の果て」が行われました。 商工会議所が出ていってから20年超。ネオンがまだ点灯する事が驚きです。 前回訪問の際は青々としていた蔦が、たった2ヶ月で赤や黄色に。季節は移り変わり、取り壊しの日が着々と近づいているのを感じます。 館内探索は今回が初めて。 剥がれ落ちた天井はアートではなく、自然にそうなったそう。戦後モダニズム建築は、ホラー空間と化していました。 すぐキワを保津川が流れるものの、その姿は見えません。ゴゥゴゥと瀬音だけが聞こえ続けます。 かつては保津川観光の拠点で、宿泊設備もありました。階段を降りた先の大浴場、最後に湯がはられたのは何十年前?隣の家族風呂は暗すぎて写真に撮れず。 窓の外には「SANGA STADIUM by KYOCERA」が煌々と輝き、スタバマークも見えます。周辺はこの数年で劇的に
平安宮内裏にあった後宮建物の登華殿(写真手前)と弘徽殿(奥)の遺構。平安文学の舞台だったことで知られる(京都市上京区)=市埋蔵文化財研究所提供 平安宮内裏にあった後宮建物の登華殿(写真手前)と弘徽殿(奥)の遺構。平安文学の舞台だったことで知られる(京都市上京区)=市埋蔵文化財研究所提供 平安文学を代表する「源氏物語」「枕草子」の舞台になった内裏の後宮建物跡が、京都市埋蔵文化財研究所が上京区で行った発掘調査で見つかっていたことが8日、京都新聞社の取材で分かった。建物跡や溝跡は中宮らが暮らした登華殿(とうかでん)と弘徽殿(こきでん)に関わるとみられ、平安時代の内裏殿舎遺構が見つかるのは初めて。 登華殿は平安中期、一条天皇の中宮定子が暮らした。関白の父・藤原道隆らとの語らいが、枕草子にはつづられている。また、弘徽殿は源氏物語において光源氏が朧月夜に出会う場になっている。両殿とも内裏北西部にあった
鯛よし百番(飛田百番) VRプロジェクト 大阪・飛田新地。 大正時代に建てられた遊郭と街並みが今も残る、国内でも有数のエリアです。その街並みが今、建物の老朽化により失われつつあります。 なんとかして、残すことができないかという相談を受けている中、物理的な保存の目途が立たたなくてもデジタル上に詳細な形状、イメージを保存できるMatterportというVR技術に出会いました。そして、2021年の春に鯛よし百番のVR撮影を行いました。 VR撮影を機に始まった修復のためのクラウドファンディングでは、812名の方から1,884万円のご寄附をいただくことができ、大阪市の修景補助事業とあわせることで、老朽化した襖絵、顔見世の間、看板、欄干、欄間等の塗りなおしなど目に見える部分、また脆くなった基礎部分の修復などに結び付けることが出来ました。 MicroHeritageが生まれるきっかけとなったプロジェクト
なぜ近代建築は解体の危機にさらされるのか? 近代建築史家にその背景を聞く品川にある旧原美術館の解体は大きな衝撃を与えるものとなった。しかしこれに限らず。昨今では原宿駅や世田谷区庁舎、東京海上日動ビルなど、様々な名建築が解体またはその危機に瀕している。なぜこのような状況が起こっているのか、またどうすれば解体ではない道をたどれるのか。京都工芸繊維大学教授で近代建築史が専門の松隈洋に話を聞いた。 聞き手・文=橋爪勇介(ウェブ版「美術手帖」編集長) 解体前の原宿駅 ──旧原美術館の解体には多くの惜しむ声が聞こえてきます。日本、とくに東京では近代建築が相次いで解体の危機に瀕していますが、どのような背景があるのでしょうか? 旧原美術館は御殿山という一等地にあるため、存続は危ういのではないかと思っていました。まとまった敷地を手に入れるため、邸宅というのは再開発の対象として狙われやすいのが現状です。200
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