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あとで読むと愛に関するcrowserpentのブックマーク (4)

  • 不自由であることより、自由であることの枷を/よしながふみとやおい論2 - 自然な渋滞

    はじめに 前回私は、やおいに描かれる「究極の愛」は往々にして依存的・非対等的であると指摘し、その一方で、自立的あるいは等身大のセルフイメージを投影できる女性像を描いているということも指摘しました。今から書くことをちょっとだけでも注意して読んで欲しいのですが、これから書くこと内容によって、おそらく私は結局なくてもいいような混乱を引き起こすかもしれません。というかたぶんそうです…。 ただ、やおいを含めたサブカルチャーを、社会や主体に引きつけて考え発言することは、それ以上に余計な問題を惹起してしまうだけなのでしょうか。だからそんなことは置いておいて、表現論やメディア論に特化して論じるべき?いや、そうじゃない。私はそうは思いません。余計な問題を引き起こすのならなおさら、漫画論をお互いの思想を押しつけあう場所として捉えるのではなく、それを包括した、新たなステップに立つために、作者や読者、そして社会の

    不自由であることより、自由であることの枷を/よしながふみとやおい論2 - 自然な渋滞
  • 独身女性の性交哲学 / 山口みずか - plaisir.genxx.com

    Ricoh GX100 / Ikebukuro / Tokyo. ひさびさのセックス論。都立大(現・首都大)卒業後、性風俗業一で生き抜いてきて、30代後半にしていまだに現役という山口みずかさんの書いた『独身女性の性交哲学』を書評します。海岸沿いを歩きながら頬を風でくすぐられたような、実に爽やかな読後感が残る一冊。ネット上にまともなレビューがまだないようだし、週末なので、かなり長い記事を書きます。セックスの生々しい話も多くて、示唆に富んでいますよ。 私が風俗嬢という職業に魅力を感じたのは、女らしさを媚態していい男をゲットするという全人格を賭けての勝負をして、専業主婦になることを望まなかったからだ。中途半端にガリ勉で、男女平等を規範にしていたから、男性に養われること自体が、負けのような気がしていた。かといって、男性と同じ社会で肩を並べてばりばりやっていけるほどの能力も自信もない。バブルは弾け

  • 愛と暴力の間 - G★RDIAS

    杉田俊介が、弱者暴力についての批判を書いている。暴力の加害者は、ときに、別の暴力の被害者でありうる。そのとき、加害者は、過去の被害体験を持ち出して、自己のふるった暴力を正当化することがある。そのことについて、杉田さんは、簡潔に述べている。 この数年、私自身のだめさをふくめて、自分の足元を鶴嘴で掘り進めたあげく、行き当たった岩盤(足場)のありかを今、一つだけ再確認するなら、それは「かつて悲惨な被害にあった当事者が、それを理由に、別の人間に何をしてもいい、傷ついた人間が直接間接に他人を傷つけて構わない、とは言えない」、という単純な事実であるらしい。 杉田俊介「弱者暴力との抗争――内藤朝雄氏のよわよわしさについて(後半)」『いきすべき批評』(http://www.allneetnippon.jp/2007/08/4_10.html) 読んでいて、私もこの数年の自分のだめさが頭を駆け巡った。 これ

    愛と暴力の間 - G★RDIAS
  • あなたは彼女が好き?それとも「彼女と一緒にいる自分」が好き? - シロクマの屑籠(汎適所属)

    「彼女が欲しい」「女の子と付き合いたい」という男性や、「彼氏欲しい」「男の子と付き合いたい」という女性をブロゴスフィアでは沢山みかける。もしかしたら、「好きな異性が一人いて、付き合いたくて仕方ない」「クラスの○○さんが好きで悩んでいる」なんかよりも余程多いんじゃないだろうか。誰だか分からないけれども、とにかく素敵な異性と交際したい、素敵な異性とデートしたい、と願望する人達も多いようだ。別に惚れた異性がいるわけでもないのに「彼女が欲しい」「彼氏が欲しい」という人が実際に求めているものについて、ちょっと考えてみよう。 既に惚れた異性がいて胸をときめかしているというのなら、これは割とわかりやすい。その異性のことしか頭に入ってなくて、その子の乗っている自転車まで愛しくみえてくるような、そういう男性(や女性)ならば、「ああ、○○さんに恋してるんですね」というのは理解しやすい。どこら辺に惚れたのかは分

    あなたは彼女が好き?それとも「彼女と一緒にいる自分」が好き? - シロクマの屑籠(汎適所属)
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