来年も作りたい!ふきのとう料理を満喫した 2024年春の記録 春は自炊が楽しい季節 1年の中で最も自炊が楽しい季節は春だと思う。スーパーの棚にやわらかな色合いの野菜が並ぶと自然とこころが弾む。 中でもときめくのは山菜だ。早いと2月下旬ごろから並び始めるそれは、タラの芽、ふきのとうと続き、桜の頃にはうるい、ウド、こ…
来年も作りたい!ふきのとう料理を満喫した 2024年春の記録 春は自炊が楽しい季節 1年の中で最も自炊が楽しい季節は春だと思う。スーパーの棚にやわらかな色合いの野菜が並ぶと自然とこころが弾む。 中でもときめくのは山菜だ。早いと2月下旬ごろから並び始めるそれは、タラの芽、ふきのとうと続き、桜の頃にはうるい、ウド、こ…
冗談抜きで鬱が酷くなってきた。これだけ重いのは、だいたい6年ぶりぐらいかな? 原因に関しては複合的なものだから、とりあえず麻酔薬を突っ込んで睡眠時間を確保しつつ、目の前の問題を一つずつ解決していくしかないね。せーかーいーは、なくならなーい! で、その間にも色々な方法で現実逃避を試みているんだけど、その中の1つにブログ巡回があって、『原野商法1997』から『或るオタクの遠吠え-Over the Rainbow-』というブログに飛んだ時に、そこに書いてある非モテ論を読んで、非モテ論がセクシュアリティ論やジェンダー論のようにグダグダになっている状況を知って驚愕。いやあ、人間の考える事って、そんなに変わりがないんだなーと納得(ネットみのもんたという蔑称には笑った。まったくおっしゃるとおり)。 このブログで何度か書いてきたことだけど、非モテ問題(?)が深刻なのは、これがコミュニケーションスキルの優劣
かつて、日本男子には元服という儀式があった。元服という儀式がなくなった後、徴兵制や成人式が一定の役割を担っていた時代もある。通過儀礼を経験することを通して、男子は一丁前の男としての認知を自他両方の側から獲得する、というカラクリだろうか。 もちろん通過儀礼は日本国内に限ったわけではなく、バンジージャンプや(よその部族に対する)首狩りに代表されるように、様々な通過儀礼が存在していた。バンジージャンプは現在ではすっかり娯楽化しているようだが、本来は地上スレスレで落下が止まるように計算してロープを用意しなければならない等、勇気・力・知恵を総動員して取り組まなければならないリスクの高い通過儀礼だった。危険と向かい合う勇気や命を守る為の知恵を持つ者だけが一丁前の男として認められる、ということだろうか。 しかし現在の日本男子には、この通過儀礼に相当する経験が見当たらない。男の子から一丁前の男になったこと
驚くほど意外なことに、「なぜ自分はここまではてなに対して帰属感を抱いているのか?という疑問」は、疑問の形にすらなっていなかったのだった。 この記事を読むまでは。 ner式:キミはてな、ぼくgoo、みたいな帰属意識 もちろん、「駆け出し」の頃は東浩紀とか転叫院とかいったコアな人たちの「奇妙な」振る舞いを遠巻きに斜めに眺めていたのだが、特に誰かに「絡みに行った」という記憶もなく、なんか独り言を言っているうちに、いつの間にか「絡まれる側」になっていたという感がある。 あーでも、最初ころは内田センセイとかR30とかにトラバとかしてたかな。 ……ってでも、はてな外じゃん。 カラテカ「非モテ」化させられたきっかけになったMasaoさんにしても、ココログだったし。 シロクマさんに至ってはそもそもテキストサイトだし。 メジャーなはてなGUYに絡んだってのもkanoseさんには向こうに拾われたクチだしな。韓
※「誤解を生む」との指摘があったので内容を改変いたしました※ 調査:やる方が「悪い」は半数以下 希薄な罪の意識 http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20061107k0000m040168000c.html ***************************************************************** いじめがあった時「いじめる方が悪い」と考える子どもが 中学、高校で半数にも満たないことが、民間団体の調査で分かった。 また、いじめを受けた際に相談できる相手を聞くと 「教師」はわずか19%で、「いない」と答えた子どもは2割を超えた。 文部科学省の統計報告がいじめ自殺をゼロとしてきた裏で、 標的の子が罪の意識の希薄な子どもに追いつめられた上、 周囲の大人が十分対処できていない様子が浮かび上がった。【井上英介】 い
価値観の多様化について アクセスログのリファラからリンクをあちこち辿ってるうちに、興味深い文章を書いている人を見つけた。 AERA10月17日号『電車男の嫌オンナ論』 「男として生まれたからには」惚れた女を養ってこそ一人前との意識は強く持っているわけで. それが男も女も,能力のある人間もない人間も,それぞれ自分ひとりで自立した生活を送るべき,という考え方がいつの間にか刷り込まれてしまった.確かに甘えはよくないけど,どうも今の風潮というのはあらゆる「共同体」をぶっ壊しにかかっているような気がしてならない.まさに,今の世の中は他人とつながるには恋愛を媒体とすることしか認められないような窮屈さを感じずにはいられない. もちろん,生活の保証を盾にした暴力や身勝手な振る舞いというのは断じて許されるものではない.だけどどうも僕が「僕には生活を保証する力があります」とか言うと,女性からは「いまどき
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