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恋愛という形式と愛とsexualitéに関するcrowserpentのブックマーク (2)

  • 北原みのり|女だろーぅ

    女だろーぅ 2009年9月29日 終電間近の電車で。隣に座った男性が酔っぱらいながら、ブツブツ言っていた。聞こうとするまでもなく耳に入ってくる。 「愛のないセックス、するなよ。女だろ。愛がないのに、セックス、するか? 男と女は違うだろううぅあ(泣)」 心の声がすべて音になってしまっている。顔をのぞきこみたいのを、ぐっとこらえる。空いている車内だったので、向かいの窓に映る男性の顔を確認。30代前半くらいかな、人の良さそうな、まん丸い顔の眼鏡男子。 セックスした女性がいたのね。その人に、「あのセックスに意味はない」とか言われちゃったのね。それとも、好きな女性が、別の男性と酔った勢いとかでセックスしちゃったとか。あららお気の毒と思いながら、ふと男性の隣でニタニタしている自分と目があって、ビックリする。笑ってるよ、私。 女だろぅー なんて悲痛な叫び声。暗い山奥から聞こえるオオカミの遠吠えのよう

    crowserpent
    crowserpent 2009/10/17
    「愛あるセックス」規範を真に受けちゃう人の話。/id:welldifined こちらをどうぞ:http://www.lovepiececlub.com/shop/cgi-bin/sss0110.php?categories_id=203
  •  セックスをしてもいい条件 - 力士の小躍り

    ということで題に戻りまして、先日の話の続きです。 「自己決定権」の立場からは、必然的に、セックスをしても良いという条件は、「絶対に妊娠しない場合」、もしくは、「子供が生まれても良い場合」、の二つしかないことになります。 結果的に育てさえすれば良いわけなんですが、今のところ、完全に近い避妊法はあっても、完全な避妊法はありません。 もの凄く低い可能性ながらも、もし妊娠したら育てようか、という覚悟もないのにセックスしてはいけません、ということになるわけで、多くの場合、一緒に育てるということは、家族を形成するということです。 つまり、「自己決定権」の行使によるセックスをする権利とは、「妊娠したときには家族を形成するとき」、という条件に限られるわけです。 現状の大勢を占めている価値観とは大きく隔たってますよね。 現状は「親密性パラダイム」が、セックスをしてもいい条件となっています。 「愛がなければ

     セックスをしてもいい条件 - 力士の小躍り
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