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恋愛という形式と語りの権力性とLGBTに関するcrowserpentのブックマーク (1)

  • 隠れるのも戦うのも御免蒙る: MELANCHOLIDEA

    かなり前に、「同性愛者がうらやましい」と書いたことがある。 クローゼットを前提にした話。 ヘテロにかこまれて恋愛話に巻き込まれたときに、 「彼氏」や「彼女」という言葉を使わなければ「恋人」の話をできるから 異性愛者を装うつもりならイチから捏造するしかないAセクより、 広げて膨らませて削ってごまかせばどうにか話せるんだからいいよねと。 ひどいことを書いてしまった。 そういうことじゃないんだよなきっと。 自分じゃないものを装わされることがひどいことなのに。 「恋愛する人」のふりをするのも 「異性と恋愛する人」のふりをするのも、 自分じゃないものとして扱われるという点で同じなのに。 異性愛者のふりを選んだのは私なんだから仕方ない なんて思わない。 異性愛者のふりをする苦痛と Aセクを主張して否定や反発や無視や通じなさと戦う苦痛のどっちがいい? などという選択を強いられることがすでに理不尽なんだ。

    crowserpent
    crowserpent 2009/03/29
    「選択を強いられることがすでに理不尽なんだ。 んなもんどっちも嫌に決まってる。」 関連:http://d.hatena.ne.jp/macska/20090818/p1
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