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恋愛という形式と非モテへの福音に関するcrowserpentのブックマーク (2)

  • 想像力の問題としての恋愛――君は「ごっこ遊び」ができるか - umeten's blog

    Mammo.tv >> 今週のインタビュー(2001.07.09号 Part2)伏見憲明 さん ――恋愛は「男と女はカップルにならなくてはいけない」といったことを前提にしています。こうしたテーマはなぜ自明なことだとされるのでしょう。 まあ、特別な才能やパワーを持って生まれた人じゃなければ、性愛以外には自分の人生をドラマティックに感じる「経験」もないでしょうから(笑)、そのことがドラマなどでの主要なテーマになりがちであることは仕方ないと思います。恋愛は、もっとも安直な人生の暇つぶしとも言える。 でも、人はそれぞれの生き方がありますから、男女でつがわなくてはならないわけでもないし、恋愛しなくてもいい。セックスがさほど必要でない人もいれば、恋人的な関係が煩わしいと感じる人もいる。 「恋愛」=「ドラマ」 「ドラマ」=才能やパワー、経験 「自分で「ドラマ」を充足できれば、「恋愛」はいらない」という説

    想像力の問題としての恋愛――君は「ごっこ遊び」ができるか - umeten's blog
    crowserpent
    crowserpent 2007/02/03
    「恋愛」と想像力の関係。「非モテ」とは「非恋愛体質」の問題である。/参考記事として言及しました。
  • 恋愛からの自由―「恋愛普遍主義」批判― - umeten's blog

    恋愛普遍主義」とは、「恋愛とはすべての人間が誰でも同じように体験可能なものである」とするものである。 恋愛や、非モテ、喪男の文脈で問題にされるべき争点とは、この「個々人が持つあらゆる偏差を善人面をして塗りつぶし、誰もがみんな同じ条件を等しく持っているのだとするあきらかにゆがんだ悪平等思想の押し付け」なのではないのか。 対して、恋愛至上主義とは、「恋愛こそがこの世で最も価値のあるものだ」、「恋愛をしない/できない人間は価値のない人間だ」とするものであるが、 この考えは、「人間なら誰でも恋愛ができるはずである」という恋愛普遍主義を前提としている。 また、恋愛主義/恋愛市場主義とは、「恋愛をすることはまったく「自由」で「楽しい」ことである」とのメッセージの下、経済活動や消費活動を単一の方向に方向付けるものであるが、 これは、その裏側に潜む「恋愛をしなければならない」「恋愛をしなければ人間で

    恋愛からの自由―「恋愛普遍主義」批判― - umeten's blog
    crowserpent
    crowserpent 2007/01/21
    「『恋愛の不可能性』を嘆くことではなく、『恋愛からの自由』に喜びを感じること」 激しく同意。こうした視点に立って初めて「敵」が正しく見えてくる。/言及しました。
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