なぜブログを始めるのか 自分の意見を言語化するのが苦手だと感じていて,ブログを書くことを通じてそれを解消したいと考えたためである. 言語化が苦手だと感じ始めたのは,ちょうど去年,研究室に配属されてからである.そのときまで正直勉強に困ったことはなかったので,研究生活も余裕だろ…
ドラマは一応見てたのですが、正直言いまして書きたくなかったんですよね。 自分以外にも物申している人は大勢いらっしゃるでしょうし 書いたところで「ふざけんな」記事になる事が目に見えていましたので・・・。 菊池さんとのメールのやり取りで「何故、電車男は反発を喰らうのか?」 という内容のやり取りで菊池さんにご説明したのですが これは書いておかねばなるまいと思い、今更ながらに書かせていただきます。 生まれながらの気質、環境で脱オタしたファッション好きな自分ですら 電車男には正直言いまして虫唾が走りました。 まず、「変わった」事を過度に美化し過ぎています。 変わったといったところで、コムサ行って美容院行っただけでしょ? 変わった事を過度に美化する程の事なのですか? 人格や性格なんぞ何にも変わってないのに・・・。 ファッションを好き云々ではなくて「適応」した事への 反吐の出そ
メカビ Vol.01 作者: 本田透,堀田純司出版社/メーカー: 講談社発売日: 2006/06/02メディア: ムック購入: 4人 クリック: 40回この商品を含むブログ (142件) を見る 「男性は皆、オタクである」――「メカビ」のこのキャッチコピーが気になっている。 この記事によると、「萌え」は非常に寛容な文化で、世界平和に繋がるものがあるのだとか。だからそういう意味をこめたコピーなのかもしれないが、ぼくはごく素朴に思うのである。男子は皆オタク。なるほど。じゃ、女子は? この雑誌の表紙には「コッチニ来イヨ、漢ハミンナ仲間ダ!」と書かれている。「漢」は「おとこ」と読むのだろう。ことさらに性差を強調する姿勢が、同誌の内容と相まって違和感をもたらす。「萌え」は世界平和に繋がるというが、それは男性だけの平和なのだろうか。 じっさいには現在、男女の文化はむしろ接近しているんじゃないかと思う。
「物語三昧」の本田透「萌える男」にかんする記事を読んでいろいろと考える。 本田透にかんしてはいつかまとまった量の記事を書こうと思っているんだけれど、こういう理路整然とした記事を読むと、なおさらその必要性を感じます。ぼくは本田さんの論理展開にまったく賛同しないけれども、しかしかれの思想には無視できないものを感じているのです。 本田さんの論理展開は、はっきりいって、でたらめです。宮沢賢治は「妹萌え」で詩を書いたとか、オタクは恋愛ニートだとか、荒唐無稽としかいいようがない。 だから、その気になれば、かれの理論の間違いを箇条書きにして何十行もならべたてることもできるでしょう。しかし、いくらそうして 本当の意味で本田透を論破したことにはならないと思うんですね。 なぜなら、本田さんの思想の本質は、そのような枝葉末葉の部分(というにはあまりにも重要だけれど)にあるのではないから。 本田さんの思想の根底に
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