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漫画・アニメとheterosexismに関するcrowserpentのブックマーク (5)

  • 「エルサを放っておいて」#LeaveElsaAlone タグに対して感じるもやもや - #あたシモ

    アナ雪の「#GiveElsaAGirlfriend(エルサに彼女を!)」活動の件盛り上がってますね。 『アナ雪』エルサに彼女は出来るのか? #GiveElsaAGirlfriend の背景と私の予想 - QUEER NEWS JUNKIE ↑わたしも別ブログで記事書いたのですが、今、これに対する反動と言うか反対運動みたいな方が盛り上がってる感じで、特に日語圏の反応を読んでいると、ものすごく微妙な気分です。 「エルサに彼女を与えて」と言うのは、何も文字通りそれを要求してるのではなくて、ディズニー映画がこれまで描写してきたステロタイプやその与える影響を踏まえての、より広範な要求なんですよね。 しかし、「エルサに彼女を与えて」タグを文字通り解釈したうえで、エルサに恋人を作ることに反対したり、「エルサを放っておいて」タグなどが盛り上がっているのを見ると、「こうやって同性愛的な表現を求める声は消さ

    「エルサを放っておいて」#LeaveElsaAlone タグに対して感じるもやもや - #あたシモ
    crowserpent
    crowserpent 2016/05/07
    うん、これはこれで分かるのよね。「異性愛主義全開だったあのディズニーにクィアを!」っていう象徴的意味と、その批判に紛れ込むホモフォビアについて。
  • これは対幻想2.0だ。 ――東浩紀『セカイからもっと近くに』の歴史性 - 鳥籠ノ砂

    東浩紀『セカイからもっと近くに』(2013)は「著者最初にして最後の、まったく新しい文芸評論」として書かれた。このことは翻って、エッセイ集などを除く東浩紀の著作には「文芸評論」が存在しなかったこと、すなわち文学的作品それ自体を対象にした批評がなかったことを意味するだろう。あの『動物化するポストモダン』にせよ『ゲーム的リアリズム』にせよ、その論で扱われているのは作品の位相を下支えする環境の位相であって、作品そのものではない。かつて出版された「東浩紀コレクションLSD」の副題が明確に示しているとおり、彼の評論は「文学環境」と「情報環境」についてのものだったというわけだ。 東浩紀は『セカイからもっと近くに』のなかで「セカイ系」の問題を取り上げ、現実と虚構の再縫合を試みようとしている。セカイ系の問題とは、政治的な想像力と文学的な想像力が乖離してしまったこと、要するに共同的な幻想と個人的な幻想が切

    これは対幻想2.0だ。 ――東浩紀『セカイからもっと近くに』の歴史性 - 鳥籠ノ砂
    crowserpent
    crowserpent 2014/02/18
    「対幻想」概念についてはちょっと誤解してた。思ってたよりヘテロセクシズムべったりの思想だったのね。
  • http://www.zakuro-no-mori.jp/yuri_boom.htm

    crowserpent
    crowserpent 2009/08/13
    部分的には納得できる部分もなくはないんだけどね。「異性愛至上主義」を批判してはいても「恋愛」そのものの規範性を疑ってないのがこの人の根本的な問題。
  • “バイセクシズム”にNO!〜「迷信」を捨て、正しい知識を!

    “バイセクシズム”にNO ! 〜「迷信」を捨て、正しい知識を! 「ヘテロセクシズム(異性愛至上主義)」 という言葉は目にするが、 「バイセクシズム(両性愛至上主義)」 という言葉はあまり用いられない。 だが、確実に存在する――とくにフィクションの世界においては。 一般的にバイセクシュアルは、 レズビアン、ゲイ、トランスジェンダーと並んで 「LGBT」と括られ、 「セクシュアル・マイノリティ」と位置づけられている。 しかし、文学や芸術において、 しばしば「人と違うもの」は必要以上に美化される。 とくにバイセクシュアルの場合は、 同性愛の他に 「セクシュアル・マジョリティ」である異性愛も内包しているため、 しばしば“性別を越えた愛”というふうに神聖視されることがある。 たとえば、 『かしまし〜ガール・ミーツ・ガール〜』や 『処女はお姉さまに恋してる』などといった作品は、 「百合」ないしは「百合

  • 佐藤雅樹「少女マンガとホモフォビア」 - に し へ ゆ く 〜Orientation to Occident

    id:nodadaさんが、1990年代前半に起きた「やおい論争」について触れたマンガ評論家藤由香里さんのエッセイをレビューしておられる。 腐男子じゃないけど、ゲイじゃないーコラム『HONEYの蜜×蜜日記』、藤由香里さんのやおい論争。 藤さんはね、まずはこう言うのです。このやおい論争における、表象暴力系の問題について「自分の好きな表現が一定の人を傷つけてしまう可能性があることを表現者は自覚し、そして自分の表現に責任を持ちつづけるしかない(ただし、気にしすぎると表現が出来なくなるのも事実だ)」と仰ってるんです。それはその通りだなと思います。そして、次には「ただ一ついえることは、生身の人間に自分のファンタジーを押し付けてはいけないということ!」と議論を展開していくんですね。 (中略) さて、藤さんはこの議論では「何がファンタジーで何がリアルなのか」ということをゲンミツに触れていませんが、

    佐藤雅樹「少女マンガとホモフォビア」 - に し へ ゆ く 〜Orientation to Occident
    crowserpent
    crowserpent 2008/02/05
    「ホモフォビア」の背後にあるのは「異性愛規範」である。/「既成の作品を、糾弾ではなく、『批評』していくこと」/関連:http://d.hatena.ne.jp/miyakichi/20060510
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