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非コミュと近代の労働観に関するcrowserpentのブックマーク (2)

  • 感情をこき使って摩耗する現代人(感情炭坑労働・情報公害、とでも喩えたくなるような) - シロクマの屑籠

    世界史の資料集を眺めていると、イギリスで第二次産業がいよいよ発展しはじめた頃の挿絵として「炭坑で働く子ども」の絵が出てくる。四つんばいになって、真っ黒になった子どもが石炭トロッコを牽いている絵だ。過剰な肉体労働と過小な栄養補給や休息、そして劣悪な環境の故に、彼らは早くにして命を落としたという。あと、日の紡績工場の女工さんの話とか。『ああ野麦峠』などが有名だ。現代の私達は「これはひどい」と思いながら第二次産業で酷使・搾取される人達を眺めやる。 翻って第三次産業がいよいよ発展してきている現代。 ここまで書けば勘の良い人は気付くだろうが、かつて第二次産業において起こっていたことに類似した現象が、より広くより深く第三次産業において起こってきているんじゃないか、と私は思ってしまうわけだ。そしてこの場合、酷使されて壊れるのは肉体ではなく、(情動・メンタル・情報処理なども含めた)中枢神経のほうだ。 肉

    感情をこき使って摩耗する現代人(感情炭坑労働・情報公害、とでも喩えたくなるような) - シロクマの屑籠
  • 「好きなことをやれ」ってのがわからない - umeten's blog

    なにかしら「目標に対する積極性」というのが、その言葉には含まれているのだろうけど、その「積極性」というのがまたわからない。*1 量にしても、質にしても、どの程度のどのようなものが、「積極性」と判断されるのか。 そして、その判断は何を基準として判断するのか。 さらに、そもそもその判断は誰がするのか。 「気がついたらやっている」「そういえば続いている」。それが好きなことなのだろうか? だったら、「自分探し」の「自己啓発」とかって、相当、無意味だな。*2 そして、仮に「消極的になること」が「気がついたらやっている」「そういえば続いている」ことになっていたとしたら、それは果たして「好きなこと」として判断されるのだろうか? 自立や自律や自発という言葉には、「動くこと」「行動すること」が意味として含まれている。 あくまで、活動的であるものだけが、自己として認められるというわけだ。 決して、非活動的なも

    「好きなことをやれ」ってのがわからない - umeten's blog
    crowserpent
    crowserpent 2007/04/05
    「近代の労働観」イデオロギーに気をつけろ。
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