「見られること」を求める恋愛 「革命的非モテ同盟」を標榜する古澤克大氏は、自身のブログで、非モテの脱非モテ(自意識の変革)を個人しか救済しえないとして放棄し、すべての非モテを救うためには「恋愛の否定」しかないと主張している。 曰く、恋愛至上主義がモテるかモテないかの階層化と差別化を強化するスクールカーストを助長しており、非モテはその最底辺で差別抑圧に苦しめられてきたと。 こうした見方に対し、二つの疑問がしばしば提出される。 一つは、現在恋愛至上主義がそんなに蔓延しているのか?という点。もう一つは、非モテ自身が恋愛至上主義を内面化しているのではないか?という点である。 この二つは実は切り分けることが難しい。私が見たところ、蔓延しているのは純然たる恋愛至上主義というより、まず「恋愛には金がかかる」という身も蓋もない認識である。 恋愛と金は無関係のものだとするところに依って立つのが恋愛至上主義だ