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*font-daと*森岡正博に関するcrowserpentのブックマーク (3)

  • 語りへの暴力的な欲望 - on the ground

    例えばデリダは、既存の法を個別の事件にそのまま適用することは、正義ではないと言った。判決の産出/算出を一般化可能なプログラムの作動に任せるとすれば、裁判官は機械でしかなくなり、法廷で行われるのは計算に過ぎないことになる。正義に適うのは、既存の法をベースにしつつも、個別の事件の特殊性、唯一的な文脈に応じて、その都度・新たに法を創出するかのような判決だけである。そのような判決だけが、当事者が置かれた個別的な条件への一般化不可能な配慮が含まれた決定だけが、(脱構築不可能な)正義で在り得る。そう、デリダは主張した。 この立場からすれば、何らかの「事件」に関する「語り」についても、同様のことが言えるように思う。批評家でも評論家でも哲学者でもTVコメンテーターでもいい。有り体のイシューなりアジェンダなりを予め用意しておき、それを認識/解釈の枠組みとして個別の事件に適用し、事件の原因や背景(または「

    語りへの暴力的な欲望 - on the ground
    crowserpent
    crowserpent 2008/06/15
    「暴力的だから黙れ」と言っているわけではないことに注意。font-da氏の応答:http://d.hatena.ne.jp/font-da/20080615はややピントがずれている。
  • 女性が哲学に惹かれない(らしい)のはなぜ? - G★RDIAS

    これは古典的な問いである。大学進学率が男女半々くらいになってきて、文系諸学科では女性の比率がむしろ高くなってきているが、心理学、社会福祉学、言語学などに比べて、哲学は女性から人気がない。その理由としては、以下が考えられる。 (1)概して女性は哲学的思考というものに興味がない。 (2)現存の「哲学」は伝統的に現実の女性を蔑視し、排除しながら構築されてきた。「女性は抽象的思考が苦手であたまが悪い」など。そういう学問に女性が興味をもたないのは当然。(また、女性蔑視してる哲学教師も多いから学生はそれを内面化する) (3)現存の「哲学」は、学問内容として、「女性の経験」を取り込んでこなかった。女性は哲学に、みずからの経験に響く要素を感じず、興味を持てない。裏返して言えば、現存の「哲学」は過度に男性ジェンダー化されている。 ほかにもあるかもしれない。私は個人的には(1)は無意味、(2)と(3)が大きい

    女性が哲学に惹かれない(らしい)のはなぜ? - G★RDIAS
  • 錯綜する「女らしさ」 - G★RDIAS

    先日、友人が家に遊びに来た。彼女は大変カワイイ女子(ヘテロ)である。性格や仕草もカワイイが、それ以上に顔がカワイイ。しかも美容関係の仕事に就いているので、カワイサを際だたせる術も持っている。もちろん、私の友人の中でも1,2を争うモテ女子である。*1男がとぎれない。いいな、と思った相手を好きになる前に、告白されるという。常に、愛され側。すごいなあーと思っていたが、彼女は真剣に悩んでいた。 「もっと地味でいたい・・・カワイイ女を求められる。」 彼女は、そんなつもりはないのに、男に媚びる甘え上手、と周囲から言われてしまうことに傷つき、人間不信にさえなったという。彼女の中には、幼い頃からずっと抱えてきた、ジェンダー違和や、女としての身体へのコンプレックスもある。「女らしい」から愛されながら、「女らしさ」への苦痛も持っている。*2 そうこう考えていたら、おもしろい記事があがっていた。 「女らしくした

    錯綜する「女らしさ」 - G★RDIAS
    crowserpent
    crowserpent 2007/05/09
    感覚的には凄く分かるのだけど、nogaminさんの危惧への答えとしてはやや甘い気も。/森岡先生、なんでそこで「モテ」に行くかなぁ…orz
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