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BL・801とフェミニズムに関するcrowserpentのブックマーク (6)

  • BLと百合のフェミニズム - 鳥籠ノ砂

    ここ一年で、BLと百合に対する見方が大きく変わった。むろん、その二、三年前ではまた別の見方をしていたので、これから変わっていく可能性も大いにある。とはいえ、少し考えをまとめておく必要があるだろう。 たとえば、私は一年前「BLや百合は同性愛者への暴力だ」ということを書いている。一方で、「BLや百合は現実の同性愛や両性愛とはなんの関係もない」ということも書いている。だが今にしてみれば、この二つの主張は全く相容れないことが分かる。現実のものと関わらないものが、どうやって現実のものに暴力を振るうことができるのか。当時の私は、どうやら次のようなことを言いたかったらしい。「たとえばBLの多くは、たんに『異性愛のやり方』を(攻め・受けという形で)同性に当てはめているだけだ。それは実際の同性愛や両性愛とは別ものだし、セクシュアリティを一つの枠組みに押し込めている点で暴力なのだ」と。そして私はこうした考えの

    BLと百合のフェミニズム - 鳥籠ノ砂
    crowserpent
    crowserpent 2012/03/14
    「ほんもの」の同性愛と虚構としてのBL・百合、という対立の無意味さ。
  • 「私はどうせギニューだし」 - font-da - はてなハイク

    平素より「はてなハイク」をご利用いただき、ありがとうございます。 「お題でつながるミニブログ」としてご利用いただいていた「はてなハイク」は、2019年3月27日をもちまして、サービスの提供を終了させていただきました。 これまでご利用いただきましたユーザーの皆さまに深く感謝いたします。 誠にありがとうございました。 詳しくは下記をご覧ください。 http://labo.hatenastaff.com/entry/2018/11/19/113653 株式会社はてな

  • 『欲望のコード マンガにみるセクシュアリティの男女差』を読む - ohnosakiko’s blog

    欲望のコード―マンガにみるセクシュアリティの男女差 (ビジュアル文化シリーズ) 作者: 堀あきこ出版社/メーカー: 臨川書店発売日: 2009/06/01メディア: 単行購入: 5人 クリック: 194回この商品を含むブログ (13件) を見る こちらのコメントの最後でもちょっと触れたが、レディコミ、TL(ティーンズ・ラブ)、ヤオイ(男性の同性愛恋愛を扱ったコミックの総称として、二次創作作品「やおい」と区別して表記)についての分析を通じて、女性のセクシュアリティ、性欲のあり方を論じている。つい最近出たばかりの。先ほど読了。 以下、出版社のHPの紹介より。 日において、女性のための性を描いた恋愛コミックは、一市場を築く商品ジャンルとして確立している。稿はこれら〈性的表現を含む女性向けコミック〉の比較分析を通し、メディアの受け手である現代女性がどのような作品を望んでいるのか、また、どの

    『欲望のコード マンガにみるセクシュアリティの男女差』を読む - ohnosakiko’s blog
  • 「やおい論争」のフォローアップ : Dearly Beloved (用途のない備忘録)

    さてと、例の「やおい論争」。 "Queer Studies '96"を取り寄せてみました。"性"を巡る問題について、これだけ熱く語っている人たちの活字を追っていると正直クラクラするような気分になりました。それは僕が普段「差別」という問題について意識せずに生活しているからなのでしょうが、それにしても差別だのなんだのといったフレームワークを多用した世界観を持つと、なんだか息苦しい気がしてきます。その中で「少女マンガとホモフォビア」と名付けられた佐藤小論文はむしろライト路線な文章でした。 もっとも「やおい論争」と言っても、ここで言う「やおい論争」は「CHOISIR」(ショワジール)というミニコミ誌で1992年から4年間にわたって行われた一連の論争のことを指しています。「生き方とセクシュアリティを考える女性のためのミニコミ誌」という触れ込みの書物ですから、国立国会図書館にでもいけば閲覧できるのかも

    「やおい論争」のフォローアップ : Dearly Beloved (用途のない備忘録)
  • 不自由であることより、自由であることの枷を/よしながふみとやおい論2 - 自然な渋滞

    はじめに 前回私は、やおいに描かれる「究極の愛」は往々にして依存的・非対等的であると指摘し、その一方で、自立的あるいは等身大のセルフイメージを投影できる女性像を描いているということも指摘しました。今から書くことをちょっとだけでも注意して読んで欲しいのですが、これから書くこと内容によって、おそらく私は結局なくてもいいような混乱を引き起こすかもしれません。というかたぶんそうです…。 ただ、やおいを含めたサブカルチャーを、社会や主体に引きつけて考え発言することは、それ以上に余計な問題を惹起してしまうだけなのでしょうか。だからそんなことは置いておいて、表現論やメディア論に特化して論じるべき?いや、そうじゃない。私はそうは思いません。余計な問題を引き起こすのならなおさら、漫画論をお互いの思想を押しつけあう場所として捉えるのではなく、それを包括した、新たなステップに立つために、作者や読者、そして社会の

    不自由であることより、自由であることの枷を/よしながふみとやおい論2 - 自然な渋滞
  • イリガライとオート・エロティシズム:やおい論をめぐって - FemTumYum

    小谷真理、「腐女子同士の絆―C文学とやおい的な欲望」、『ユリイカ 総特集BLスタディーズ』(2007) Vol.39-16、26-35. BLスタディーズってちょっとタイトルに偽りありではと思うほど、「論文」系の分析は圧倒的に少ない。『ユリイカ』ってこんな感じだったっけ?いやまあそれはともかく、小谷氏の上記論考。書き流してるなあ、と言う気もする。逆に言えば、書き流しでもこれだけのものが書けなければいけないということなのだろうけれども<わたくしにはとてもとても無理。 こちらがBLを全然知らないので、小谷氏のこの論考が「やおい分析」としてどの程度正しく、どの程度展開の可能性があるものなのかわからないのだけれども、それとは別方面から気になるのが、タイトルのC文学、あるいはC感覚をめぐる箇所。ただ、小谷氏の著作をちっともフォローしておらず(恥)、このC感覚というのが小谷氏がかねてより提示なさってい

    crowserpent
    crowserpent 2008/01/31
    小谷真理氏の「象徴界を突き抜けたところにある女性性」を想定した「やおい論」への疑義。
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