2018/08/31 社会システムイノベーションセンター 研究ニュース 神戸大学社会システムイノベーションセンターの西村和雄特命教授と同志社大学経済学研究科の八木匡教授は、国内2万人に対するアンケート調査の結果... 412 人がブックマーク・85 件のコメント
別れたほうが幸せになれる……分かっているけれど、そんな苦しい恋愛を繰り返してしまう。恋愛依存に陥っていると、正しい判断ができないようになってしまいます。でも、それだけではありません。 気づかないうちに、 自分でダメ男を作り出し、自分自身がその辛い恋の状態へ導いている こともあるのです。一体どういうことなのでしょうか。今回は、繰り返してしまう辛い恋について解説していきましょう。 重い女になってしまう・・・それが恋愛依存 彼という存在に強い執着をもつ恋愛依存。時には周囲に噓をついたり、友達との縁を切ってまで彼との関係を続けていきたいとすがったりしてしまう。そういう女性は、いつもいつも同じように苦しい恋をしてしまう傾向があります。 「今度こそ」と選んだ優しそうな男性も、気づけば悪い男に大変身! なんてこともあるんです。 例えば、とても優しくて自分のことを思ってくれる……そう思ってつきあいはじめ
これまでローレンツの個体認識の考察からADHDの根本的な対人個体認識の障害について述べてきた。 同じ図式を用いて、ASの対人認識の障害について考えてみよう。 私がこれまで接してきたASの人の対人認識の特徴は、ADHDとはまるで逆で、「個体認識しかない」という表現になるだろう。「自分」と「相手」という形で抽象的にイメージ化することができない。あるいはうまく調節できないということになる。 私は80年代に私は京都大学で学び、哲学にも親しんでいたが、当時は「現象学」の全盛であった。 ハイデガーやブーバーの「Ich-Duの関係」と「Ich-Esの関係」という表現が個体認識のことを理解するのに役に立つかもしれない。 Ich-Duとは、一対一の「私とあなた」で、名前がある相手との一回限りの関係である。ローレンツの個体認識に相当すると私は考える。 対してIch-Esとは、「三人称」的に自分と相手を観察する
沖縄の言葉で「難儀」(ナンギ)という表現があり、意味としては「面倒」と同じような使い方をされる。実は受動型ASがよく使う表現である。 主に行動しないときの理由を問うた場合にこの「ナンギ」が登場する。自分の自発的な行動が求められるときはすべて「ナンギだから」しないということになる。 この「ナンギ」には、「それ以上に突っ込んで話を深められない」という作用があり、周囲の人の意欲を失わせる結果になる。 さてこの「ナンギ」の意味を私はずっと考えてきて、やっと一つの解釈を思いついた。 「何で自分がしなければならないか?」「自分でしなければならないのなら面倒だからしない」という意味であると思う。周囲の愛着の対象に対して「(自分のことでも)お前たちがやるのが当たり前だろうが」という強い依存のメッセージなのだ。 受動型ASは依存できると思った相手には、徹底的に理不尽な要求をし続ける。他方「自分」が存在せず、
うつ病になると、配偶者との問題は重要でかつ深刻となります。 うつ病にかかる人は一般的に、外面が良い反面、自分が心を許した人には、批判的で要求水準が高いといわれています。 配偶者がどれだけ、うつ病になった人の甘えや攻撃性に耐えられ、うまく処理できるかということが、うつ病の行方を左右する大きな要因になります。 男性がうつ病になったときは、積極的で支配的な妻は、夫の甘えを受け入れ難いものです。 逆に、女性がうつ病になったときには、優しすぎる夫は、妻の攻撃に耐えられないことがあります。 うつ病についての理解、忍耐力、「懐の深さ」のようなものが、うつ病を快方に向かわせる重要な鍵になると私は思っています。 また、配偶者の一方がうつ病になると、片方の配偶者もうつ病になってしまうという、「共倒れ現象」も最近では多くみられるようですので、この点も十分に注意する必要があります。 (2008年4月10日掲載)
「モラルハラスメント」という用語は最近はポピュラーになっている。 パートナーに対して「お前の考えは間違っている」と言い続けたりすることで、これは合理的強迫的ジャイアンの専売特許と思っていたが、意外に依存型ジャイアンのモラハラがあることが最近分かった。 依存型ジャイアン特有の「その場の場当たり的な対応」の一種として、「とにかく相手を黙らせれば良い」という目的で「威圧する」、「断定する」、「相手の意見を聞きもしないで頭から否定する」という態度が出てくることがあるのだ。 これをパートナーなどの相手から見ると、実はハラスメントとしてのダメージが違ってくる。 合理的強迫的ジャイアンでも、積極奇異型ASでも、強迫的な発達障害のモラハラは自分自身にも厳しい条件を課していることが多く、モラハラの加害者の行動をしっかり見据えれば首尾一貫性があるので、理不尽であっても理解の可能性は無いことも無い。 これが、「
最近のあるケースとの面接での話。依存型ジャイアンだったが劇的に合理的思考を回復した人に依存型の意味を説明した。そういう場面が来ること自体私も予想していなかった。 依存型ジャイアンは驚くほど良くなることがある。 ●管理と依存の悪循環 「心配だかから任せられない」という管理と、「どうせ相手がやってくれるから考えなくて良い」という依存は「共依存」を形成する。この形が出来上がると、脱出できなくなる。 → 依存させてきたほうは、「任せてどうなるか分からない」という不安に耐える必要がある。依存してきたほうは「自分で考えないといけない」「指示をしてくれない」という不安に耐えなければならない。本人は自分で考えて出来る様になった。一歩大きな回復をした。 本人が今見ているのは以前の依存していた本人の合わせた妻のスタイルを裏返しに見ている。 ●断片的な人と一緒に居るとどうなるか? 「一度話して理解したことを少し
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く