世の中には様々な理由で親を亡くした遺児と、そして、その遺児たちを守ろうと日々必死に頑張る保護者がいらっしゃいます。この作品を制作するにあたって、あしなが育英会の支援を受けているある実在の家族を取材。描かれている内容は実際のエピソードが元になっています。お母さんご自身の言葉である「おかあちゃんで、おとうちゃん こども、ときどき、おとうちゃん」をキーメッセージに、全ての遺児と保護者へエールを送るとともに、その家族を支援するあしなが育英会の活動の意義を伝えます。
昨年末にご飯に誘ってくれた男性が、わかりやすく距離を詰めてくる。 仮にルームシェアしたとしたら楽だろうと思える程に、 家族への優しさ 自立度合い 金銭感覚 価値観 客観視するチカラ 妥協点の見つけ方がうまい などの人格的素晴らしさがある人だけれど どうにもこうにも、肉体的な接触がむり!と思ってしまう。 友人に話したら 結局見た目がたぶん生理的にムリなのか 単に異性としては見られない人なんじゃないかと言われた。 まぁ、そうなのかもしれない。 できればそれを乗り越えて付き合ってしまいたいけど、乗り越えられるものなのか。 または、ごめんなさいするのに、人間的には好きだけど、異性としてどうしても見れない、と言って良いのか。 またご飯行きましょうよと昨夜も連絡がきて、ご飯行くのは全然いいんだけど、また距離詰められるのしんどいなぁと思ってしまう。 仕事場が同じだから尚更。 ………………1月6日1:29
さっき電話で「別れて友達に戻ろう」と切り出してきた。相手は泣いていた。私も泣いていた。 なんでこうなったかはわからないけれど、各自に言えるのは、タイミングが悪かったことと私がまだ若すぎたことだと思う。 彼氏とは大学のサークルで出会った。ちょっとオタク気味のサークルだったけど、彼は顔がかっこよくて、性格も優しくて他のオタクたちよりも何倍も輝いて見えた。 彼は人と仲良くなるのは上手くても、人の私的領域に踏み込むのが苦手なのか恋愛をしたことがなかった。私はその時他の男にひどいモラハラを受けており、とにかく優しさを求めていた。 そこで、私は彼の家の掃除をするという名目に彼の家に遊びに行き、こちらから誘ってセックスして付き合った。 最初から恋愛的に好きだったわけではないと思う。ただただ、衝動で動いてしまったのだ。 それから2年間半本当に幸せだった。私が本当に辛い時はいつもそばにいてくれ、彼が辛い時は
今日は、信田さよ子先生の本、 『愛情という名の支配(新装版)』を紹介します。 本書より引用しながら、「共依存」の一つの側面である 「支配して逃がさない関係」についても書いていきます。 ●Amazon 『愛情という名の支配(新装版)』は、 1998年(15年前)に刊行された同タイトルの本の新装版です。 信田先生は、当時のご自身の熱情や筆の勢いを残すために、 あえて加筆修正をせずに復刊されました。 15年前といえば、ちょうどアダルト・チルドレン(AC)という言葉が 一種のブームのように広がっていた頃です。 本書の旧版を読んでインパクトを受けた方が、 当時、多かっただろうなぁと思いました。 例えば、この箇所に。 「愛しすぎる女たち」は、「私がついていないとこの人は駄目なの」という、ちょっと弱々しくて、人の助けを必要としている男性を選びます。 そういう支配しやすい男性を夫に選んでおきながら、「私は
アスペルガー症候群の好みの女性や男性はどんなタイプなのでしょう? アスペルガーでも好みは人それぞれなので一概には言えないと思いますが・・・ アスペルガーの好みの女性や男性 自閉症スペクトラムは基本的に自分の言う事を聞いてくれるような人を選ぶのではないでしょうか。 自分が自閉症スペクトラムだと知らなくても、意見をなんとしてでも通すタイプだとは気付いているはず。 だから言い争いにならないような彼や彼女を選んでしまうのです。 少しは自分の事が分かっているからなのかもしれませんね?! アスペルガーが絶対に選びたくない相手 私は女性の発達障害なのですが、まず選ばないのは 俺について来い!!! なんていう人。こんな人とは対立しかしない事を知っているので恋人としては選びません。 やっぱり一緒にいて楽しいと思える人がいいですしね(汗) 次に、あまり近寄り過ぎない人。 発達障害は自分のやりたい事が最優先なの
言いにくい話だからあまり言わないようにしてきたが…正直なところ、躁うつ病になってからというもの性的衝動がすごく強い時がある。これは僕個人もそうだし、躁うつ病の兆候の一つとして性欲が乱高下する…という現象は実際に起こる。 本当に性欲が強い人、下ネタが好きな人もいるため、周りから見ている分には意識されにくいことだが…男女問わず、妙に性欲が強くて近くに異性がいると甘えたがることが…ある。いや、経験したことがある。 病んでる人同士が病んでる時に一緒にお酒なんぞ飲んだ日には本当に何が起こってもおかしくない。いい意味でも悪い意味でも距離が密接になる。行為とか合意とかそんな理由ではなく、本能的で衝動的に頭と体が一致しない形でお互いがお互いに依存したり、甘えたり…という現象が起きる。 「なぜこんなめんどくさいことを書くか」だが、それはこの記事が出回っているからだ。 風俗をやめた話 要約すると「風俗通いして
私はADHDである。ADHDの一大特徴は、「人に執着しない」ということである。小さい頃から母親が不在でもあまり泣かず、親に頼らず自分で何でもしようとする。 思春期には人とつるまず、孤立していじめにあったりする。結婚は成り行きで「ただそのとき一緒にいたい」から。夫婦冷却してもカネのためと割り切って離婚しないこともある。最終的には自分の好きなモノがあれば無人島でも平気で暮らせる。 究極の「猫的生き方」であると私は思う。オオカミ的な群れは作らず、干渉されなければ無駄な戦いもしない。来るものは拒まず去るものは追わない。体育会系の人にはさぞ自己中に見えることだろう。 愛着の対象とそれ以外の極端な差別を持つオオカミ的なアスペルガーとは対照的である。私はADHDとASの鑑別にこの特徴(人に対する執着の有無)をよく用いる。 下記に関連記事あり http://www.geocities.jp/yanbaru
例えばジャイアンが受動型ASを「利用」したとする。それを受動型ASが「必要とされている」と勘違いするという問題がある。この問題はもしかすると普遍的に起こり続けている大問題のような気がするので、細かく検討しておこう。 前回詳述したように、ジャイアン側からは、ジャイアンとして自己責任たるべきことを丸投げして後から合理的な自己突っ込みが生じなければ「利用」で問題ない。これは比較的はっきりしている。 受動型ASの場合は、本来「利用」は自覚的にはすることもされることも嫌うが、相手によって「利用」に反応する場合と反応しない場合がある。 A.愛着の対象の場合、「利用」と分かると傷つく。単なる「利用」だった場合、「必要」であるかどうかを確認せざるを得なくなる。「利用に過ぎない」状況証拠の一つでもあったら最後、受動型ASから「私のことは必要ではないの?」という主に非言語的な「試し行動」が繰り返されジャイアン
最近のあるケースとの面接での話。依存型ジャイアンだったが劇的に合理的思考を回復した人に依存型の意味を説明した。そういう場面が来ること自体私も予想していなかった。 依存型ジャイアンは驚くほど良くなることがある。 ●管理と依存の悪循環 「心配だかから任せられない」という管理と、「どうせ相手がやってくれるから考えなくて良い」という依存は「共依存」を形成する。この形が出来上がると、脱出できなくなる。 → 依存させてきたほうは、「任せてどうなるか分からない」という不安に耐える必要がある。依存してきたほうは「自分で考えないといけない」「指示をしてくれない」という不安に耐えなければならない。本人は自分で考えて出来る様になった。一歩大きな回復をした。 本人が今見ているのは以前の依存していた本人の合わせた妻のスタイルを裏返しに見ている。 ●断片的な人と一緒に居るとどうなるか? 「一度話して理解したことを少し
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