最近私は発達障害当事者に「冷たく」なっている。ADHDにもASD(自閉症スペクトラム)にも、私が以前に行動してきた「事実、行動」としての配慮を「本来するべきではない」と考えるようになってきたからだ。 ADHDの場合、KY(状況察知能力の不足)が重症なケースは、「やってくれるのが当たり前」という風に認識してしまう。 相手が私でなくても要求する可能性があり、また相手が私でなければ要求しないのであれば私もしないほうが良いだろう。またASDの場合は、「この個人的関係では当たり前」という風に認識されることが多いだろう。 いずれにしても、その瞬間に「依存」が生じ、これは当事者自身のためにマイナスでしかないのだ。 基本原則としては、「理解はするが配慮はしない」という風にするのがベストと考えつつある。 他方で私は発達障害の中学・高校生の主治医としては、例えば「高校入試の配慮で1.3倍の時間を要求する」 な