小さな工場時代から「面倒くさい」人だった 私が知る限り、稲盛さんは「面倒くさい」人だった。 まだ京都の名の知れない小さなセラミック工場の社長であった時代から、納得がいかないことがあると相手構わず腹落ちするまで議論した。雨が降ったら傘を取り上げるような銀行とは付き合えないと、当時の経済界で有名だった都市銀行の頭取に会いに本店まで乗り込んで行くような人だった。 今でこそ稲盛さんの京セラ会計学は有名だが、工学部出身の稲盛さんは、もともと会計には明るくなかった。けれども、自分は素人だからと納得がいかないことを鵜呑みにすることはなく、納得がいくまで議論し続けたので、経理担当者には「これだから素人は」とあきれられていたという。 税金を余計に払ってでも「正しい会計」を貫き続けた 稲盛さんが、政府が定める会計のルールに納得できず、社の監査を請け負う会計士や税務署の職員と激論を交わした逸話は枚挙にいとまがな