日本に初の鉄道が開業したのは1872年のことだ。当時の遺構である「高輪築堤」が品川駅近くで見つかったが、ロンドンにはそれよりさらに古く、19世紀前半に造られた鉄道構造物であるテムズ川の川底を通るトンネル「テムズトンネル」が現役で使われている。 筆者は11月末に開かれたチャリティーイベントを通じて、普段は足を踏み入れることができないトンネル内部を見ることができた。築後180年を過ぎても使い続けられているその秘密を垣間見た。 初の鉄道開業と同じ年に掘削開始 いうまでもなく、イギリスは鉄道発祥の国だ。ストックトン・アンド・ダーリントン鉄道がイングランド北部に開通したのは1825年のこと。その後各地に鉄道が次々と生まれ、やがてロンドンでは1863年、初の地下鉄路線が開業している。 19世紀、ロンドンでは人々の交通需要が高まる中、街を流れるテムズ川両岸の行き来に頭を悩ませるようになった。マストが高い
銚子市内を走るローカル鉄道、銚子電鉄の笠上黒生(かさがみくろはえ)駅で駅舎改修工事が終わり、新装された。築100年近い木造駅舎の歴史を踏まえ、地域の景観に溶け込むよう老朽化した外壁や待合室などの傷みを直したほか、地域産品を置くアンテナショップも設けた。 駅舎は平屋建て、延べ床面積約30平方メートル。外壁は貼 ・・・ 【残り 455文字】
100年に一度といわれる大規模再開発が続く渋谷。街の玄関であるJR渋谷駅も、遠く離れていた埼京線のホーム移設や2日間の運休を伴う山手線の線路切り換えなど、ここ数年大がかりな改良工事が続いてきた。そして2023年1月9日、昭和から長らく同じだった山手線ホームの形が大きく変わった。 JR東日本は同6日夜から9日始発までの間、これまで別々だった山手線渋谷駅の内回り(目黒・品川方面)と外回り(新宿・池袋方面)のホームを一体化するための線路切り換え工事を実施した。3連休のうち丸2日間、外回り電車の大崎―渋谷―池袋間を運休。作業時間は約53時間30分で、山手線の工事としてはJR発足後最長だった。 従来の内回りホームを拡大 山手線の渋谷駅はこれまで、外回りのホームが西側の線路外側に、内回りのホームが外回りと内回りの線路に挟まれた場所にある「2面2線」の構造だった。2つの線路に挟まれた内回りホームの幅を拡
京急は2022年1月12日(水)、京急川崎駅ホームの「パタパタ」発車案内装置(正式名称「フラップ式列車発車案内表示装置」)の使用を、2022年2月中旬をもって終了すると発表しました。 【写真】まもなく見納め! 京急川崎駅に残る「パタパタ」発車標 京急線の「パタパタ」発車案内装置は、1986(昭和61)年12月25日に京急川崎駅に初めて導入され、最大10駅ほどに設置されたといいます。視認性がよく豊富な表示が可能であることから、その後、一時は案内表示板の主流となったものの、LED表示式への転換が進んだとのこと。今回の川崎駅の更新工事で、京急線での「パタパタ発車案内装置」の35年間の歴史が、幕を閉じることになります。 今回同装置の運用が終了することにともなって、京急では各種イベントが実施されます。「パタパタ」発車案内装置を再現した「『パタパタ』発車案内装置引退記念乗車券」が抽選発売されるほか、同
運賃値下げの方針が明らかになった北総線の千葉ニュータウン中央駅=23日、千葉県印西市中央南(江田隆一撮影) 北総鉄道(千葉県鎌ケ谷市)は23日、他社と比べて割高とされる運賃について、値下げの可能性を検討し始めたと発表した。同社は21年連続で黒字が続き、平成11年度には447億円に達した累積赤字も、創立50周年を迎える令和4年度には解消できる見込み。まずは値下げの是非を検討し、値下げが決まれば時期や金額の調整に入る。 同社沿線は近年ベッドタウンとして注目され、特に千葉県印西市では人口増が続く。同社は平成17年以降、沿線自治体からの補助金を受けながら運賃の値下げを続けてきたが、自社の経営努力による値下げが決まれば初めてとなる。 北総鉄道は京成高砂駅(東京都葛飾区)から印旛日本医大駅(印西市)までの約32キロを30~40分程度で結ぶ。運賃は現金払いの場合、初乗りが210円、全線を通して乗ると84
1982年、埼玉県生まれ。東京地下鉄(東京メトロ)で広報、マーケティング・リサーチ業務などを担当し、2017年に退職。鉄道ジャーナリストとして執筆活動とメディア対応を行う傍ら、都市交通史研究家として首都圏を中心とした鉄道史を研究する。著書『戦時下の地下鉄 新橋駅幻のホームと帝都高速度交通営団』(2021年 青弓社)で第47回交通図書賞歴史部門受賞。Twitter @semakixxx News&Analysis 刻々と動く、国内外の経済動向・業界情報・政治や時事など、注目のテーマを徹底取材し、独自に分析。内外のネットワークを駆使し、「今」を伝えるニュース&解説コーナー。 バックナンバー一覧 60年前の1960年12月4日、都営地下鉄浅草線(当時の呼称は都営地下鉄1号線)の押上~浅草橋間が開業した。浅草線は都営地下鉄として最初の、そして郊外私鉄と相互直通運転を行った初の地下鉄でもある。通常、
近年、2つのバス車体がつながっている「連節バス」が主要都市で増えていますが、1950年前後には似て非なるものとして、全国で「トレーラーバス」というものが走っていました。一体どのようなものだったのでしょう。 心臓部には旧日本陸軍の装甲車用エンジンを流用 太平洋戦争が1945(昭和20)年に終わってから3年。まだ空襲の爪あとが残る街中にも陽気な流行歌『東京ブギウギ』が流れ、人々が復興に動き出した1948(昭和23)年頃の日本。各地の街中では、通勤客をぎっしり詰め込んだトレーラー式の巨大なバスが轟音を響かせて走っていました。 それは、日野産業(現・日野自動車)が製造した「トレーラーバス」です。全長14m、出力115hp、100人乗り。鉄道車両にも見える客車(トレーラー)部分を、ボンネットトラック形状のトラクターヘッドが引っ張る超ロングバス。昭和20年代のごく短期間のみながら、戦後復興を担う通勤通
千葉県の県境は、ほとんどが川の上にあるため、乗り物に乗ってたどることがかんたんにできる。 前回、浦安(東京ディスニーランド)から、江戸川に沿って北上しつつ、都県境未定地の河原番外地、流山橋までたどった。→「ディズニーランドの目の前は境界未定地?」 今回は、流山から野田、関宿まで行きたい。 運河には本当に運河があった 千葉の県境をたどって流山までやってきた。これから千葉県の北端、関宿を目指して北上しなければいけない。 運河のちょっと下あたりが流山です 関宿に行くまでにいくつか見ておきたいものがあるが、まずは利根運河といわれる運河をみておきたい。 東武野田線の駅に、運河駅という駅があるのは知識としてはしっているしかし、運河が実際にどんなものなのか、この目でみておきたいのだ。 荒涼とした農道を進む 江戸川と運河がつながっている場所までやってきた。 川以外はなにもない 江戸川と利根運河が丁字でつな
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京成電鉄が同社の歴史を振り返るイベント「京成リアルミュージアム」を開催。会場は、上野公園にある旧・博物館動物園駅です。過去の記念乗車券やヘッドマークをはじめ、一般公開が初めての展示物も並んでいます。 博物館動物園駅駅舎の一部を公開 上野公園(東京都台東区)の地下に眠る旧・博物館動物園駅の一部公開が始まりました。 2020年2月8日(土)、京成電鉄が旧・博物館動物園駅でイベント「京成リアルミュージアム」を開始。会場として同駅の地上駅舎内部とコンコース階を公開しています。 拡大画像 旧・博物館動物園駅で開催されているイベント「京成リアルミュージアム」の様子(2020年2月8日、乗りものニュース編集部撮影)。 旧・博物館動物園駅は、京成本線の京成上野~日暮里間にある廃駅です。1933(昭和8)年に開業して以降、帝室博物館(現・東京国立博物館)や恩賜上野動物園の最寄り駅として利用されてきましたが、
昭和時代がさらに遠くなり、あの時代を知っている人はもう結構いい年であるきょうこの頃。寿命の長い鋼鉄製鉄道車両の世界においても、昭和生まれの車両はもうずいぶんと少なくなりました。今回は昭和30年代にデビューした「ほぼオリジナルの103系」がまだ残っているという、兵庫県のJR和田岬線に行ってきました。 和田岬線を走る103系(2019年8月 筆者撮影) 【全ての写真】和田岬線「103系」の様子 国鉄時代に誕生した昭和時代の通勤電車「103系」 国鉄103系(JR103系も含む 以下103系)は1963年(昭和38年)にデビューした、日本国有鉄道(国鉄)およびJR、いや、日本を代表する通勤電車です。国鉄時代からマイナーチェンジを繰り返しながら1984年(昭和59年)まで製造され、北海道と四国を除く日本各地の都市で活躍しました。製造車両数は21年間で何と3447両! 現在はJR各社がそれぞれ新型車
世界的なサブカルチャーの発信地として注目される秋葉原。さらに従来からの電気街として店舗も軒を連ね、東京でも有数の観光・商業地となっている。平日、休日を問わず、祭りのような活気を感じられる街だ。 その玄関口となっているのが、JRの秋葉原駅だ。秋葉原駅では山手線のほか、京浜東北線、中央・総武線(各駅停車)が発着、さらに東京メトロ日比谷線、つくばエクスプレスに乗り換えることもできる。 JR東日本の2017年度統計では秋葉原駅の一日平均乗車人員は25万251人。JR東日本管内では大宮駅に次いで9位。その内訳は、定期外利用者が13万4878人と多いが、定期利用者も11万5372人と拮抗、通勤・通学利用者も多いことがわかる。なお、東京メトロ日比谷線は6万2312人、つくばエクスプレスは6万6070人(共に『東京都統計年鑑』平成29年による)となっている。 ちなみに秋葉原駅の利用は以前からこれほど多かっ
長崎に渡った仙台市電、66年の運行経て終着へ 最後の現役車両、老朽化進み3月引退「さよなら運行」きょう受け付け 1976年の仙台市電廃止後、長崎市の長崎電気軌道に譲渡され、路面電車として使われた最後の1両が3月30日に引退する。52年に製造され仙台市電でデビューし、66年にわたり仙台と長崎で活躍したが、老朽化で維持管理が難しくなった。同社は3月に「さよなら運行」「さよならパレード運行」を行い、長年親しまれた車両の花道を飾る。 引退するのは長崎電気軌道の車両「1051号」。仙台市電では「117号車」として活躍した。市電廃止後、長崎に渡った5両のうちの1両。同社は仙台(センダイ=1000番台)と譲り受けた昭和50年代にちなみ、5両に1051~1055の車両番号を付けた。 1051号は99年ごろに通常運行から退き、近年は貸し切り運行やイベント時に使われていた。東日本大震災の直後は車内に募金箱を設
東京都交通局が運営している、上野動物園の懸垂式モノレールが消えるかもしれません。経営上は黒字ですが、過去にもあることが原因で存続問題が浮上したことがあります。なぜ維持が難しいのでしょうか。 経営上は黒字だが… 「日本初のモノレール」が存続の危機です。東京都の交通局と建設局は2019年1月23日、上野動物園(東京都台東区)のモノレールを11月1日から休止すると発表しました。 上野動物園モノレールの40形電車(2018年5月、恵 知仁撮影)。 上野動物園モノレールは、東園と西園を約1分半で結ぶモノレールです。全長はわずか0.3km。車両は1編成(2両)だけで、予備の編成はありません。 交通局によると、現在の車両(40形電車)は運行開始から17年が過ぎ、経年劣化が顕著に進んでいるため、法令で定められた検査の実施時期を迎える前に運行を休止することにしたといいます。休止期間中は電気自動車などによる無
「戦後は市電(路面電車)の車庫前周辺に中華そばの屋台が競い合うように並んどったわ」。戦後間もない1949(昭和24)年創業で屋台からスタートした「元車庫前丸宮中華そば」の2代目大山秀子さん(88)は当時をこう振り返る。 大山さんは夫と和歌山市西高松1丁目付近の車庫前で屋台を引き始めた。屋台の回りには椅子を15個ほど並べたが、テーブルはなかった。直径25センチほどの金属製のお盆の上にどんぶりを乗せ、お客は肩を寄せ合うようにラーメンをすすった。「市電の運転士や作業員とかがよく食べに来てたね」と大山さんは話す。高校からの帰り道、自転車で「丸宮」の屋台に通った和歌山市の上野章さん(65)は「子どもの頃はコンビニもなく外で食べると言えばラーメンくらいしかなかった。同級生と会って、わいわいしてたねぇ」と懐かしむ。 ラーメン屋台が並んだ車庫前。周辺には映画館や和歌山大学のキャンパスなどもありにぎわってい
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