1906年に酔っぱらって甕に落ちた猫が、意識を取り戻すと1949年(文庫の裏表紙に1943年とあるのは間違い)になっていた。たどりついたのは苦沙弥ならぬ五沙弥先生の家。夏目漱石の正典猫と同様、五沙弥家に集まる風変わりな人々の会話を猫の視点から収集する。 正典はユーモラスな作品にはちがいないけど、その背後には神経症的というかパラノイア的なものがあって、それから目を背けるために笑っているように感じていた。端的にいえば目が笑ってなかったのだ。贋作にもある種の不気味さを感じるけど、それは意図的なもので、むしろ好ましくて、笑いを引き立てる絶好のスパイスの役割を果たしている。どちらも戦争から数年後という時代に書かれたのに、勝った戦争(日露戦争)直後の正典が暗くて、負けた戦争(太平洋戦争)のあとの贋作が明るいのは象徴的だと思った。 いくつか気がついたことを書いておく。 名無しだった正典とはちがって、贋作