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ブックマーク / blog.asharpminor.com (1)

  • 内田百閒『贋作吾輩は猫である』 · a sharp minor

    1906年に酔っぱらって甕に落ちたが、意識を取り戻すと1949年(文庫の裏表紙に1943年とあるのは間違い)になっていた。たどりついたのは苦沙弥ならぬ五沙弥先生の家。夏目漱石の正典と同様、五沙弥家に集まる風変わりな人々の会話をの視点から収集する。 正典はユーモラスな作品にはちがいないけど、その背後には神経症的というかパラノイア的なものがあって、それから目を背けるために笑っているように感じていた。端的にいえば目が笑ってなかったのだ。贋作にもある種の不気味さを感じるけど、それは意図的なもので、むしろ好ましくて、笑いを引き立てる絶好のスパイスの役割を果たしている。どちらも戦争から数年後という時代に書かれたのに、勝った戦争(日露戦争)直後の正典が暗くて、負けた戦争(太平洋戦争)のあとの贋作が明るいのは象徴的だと思った。 いくつか気がついたことを書いておく。 名無しだった正典とはちがって、贋作

    niwakano18124
    niwakano18124 2015/02/28
    作品に時代背景(太平洋戦争など)を伺わせるものは少ないと思うけれど、裏表紙の「1943年」はやっぱり間違いですよね、共産党員の青年とか、元気になった女性への言及とか。
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