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ブックマーク / east-asian-peace.hatenablog.com (2)

  • 「従軍慰安婦」問題と歴史像-上野千鶴子氏に答える(吉見義明) - 東アジアの永遠平和のために

    目次 はじめに 1.「慰安婦」問題の初歩的誤解 2.だれが文書史料至上主義か 3.「慰安婦」制度は公娼制か 4.国際法違反を問うことは強者の論理への屈服か はじめに 「新しい歴史教科書をつくる会」に属する人たちと私たちとの聞の「従軍慰安婦」問題に関する論争の評価については、これまで、どっちもどっちだ式の、両者をともに非難する言説が少なくなく、いささかうんざりしていた。 しかし、「記憶の政治学」により上野千鶴子氏が論争に参加したときは、これとは異なり、私たちの側に立って、しかも、たとえば私のいたらなさを批判しながら、加わってくださったと思い、「日戦争責任資料センター」主催のシンポジウムでは、それを「歓迎」したのだった。 しかしながら、その後、上野氏の「ポスト冷戦と『日歴史修正主義』」を読むなかで、そんな単純な問題ではないと思い知らされることになった。 このなかでは、上野氏はつぎのよう

    「従軍慰安婦」問題と歴史像-上野千鶴子氏に答える(吉見義明) - 東アジアの永遠平和のために
  • 和解という名の暴力 ─ 朴裕河『和解のために』批判(徐京植) - 東アジアの永遠平和のために

    徐京植さんと高文研のご厚意により、『植民地主義の暴力』(徐京植著、高文研、2010年)に所蔵された論考「和解という名の暴力」を公開する許可をいただきました。誠にありがとうございます。 ■目次 「国民主義」とは何か 植民地責任論 「道義的責任」というレトリック 「記憶のエスカレーション」 和解のために? 「和解という名の暴力」──その流通と消費 一枚の絵から何が読み取れるか 和解という名の暴力──朴裕河『和解のために』批判 他人の歯や眼を傷つけながら、報復に反対し、寛容を主張する、そういう人間には絶対に近づくな。──魯迅「死」 「国民主義」とは何か 稿では、いわゆる「先進国」のマジョリティが広く共有する「国民主義」が、いわば「国境を越えた共犯関係」を形成することによって、旧植民地宗主国の「植民地支配責任」を問題にしようとする全世界的な潮流に対する抵抗線を形成しているという状況について述べる

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