「押忍!闘え!応援団」を遊んでいて漠然と思い浮かんだよしなしごとをとりとめなくメモ。 世界と物語 beatmania には世界自体存在しない。画面は壁である。ゲームは画面を含むこちら側で行われる。強いて挙げればプレイヤ自身がキャラクタだが、それはある意味当然のことで、そこに倒錯はない。 DDR には画面の向こう側が一応ある。けどキャラクタはゲームと同期していない。画面は窓である。ただ居るだけ。特に進歩と呼べるものはない。そんなつもりもなかったろう。べつにそこを掘り下げてどうというようなゲームではなかったし。 スペースチャンネル 5 には世界がある。うららスター装置として働いている。うららはプレイヤ自身ではない。うららは相対している。その装置へ肯定的に参加してゆき、うららを好きになるのがゲームの遊びかた。 応援団は…複雑だ。もう十分にこのジャンルのゲームは開拓されているのだから、その後に出て