江戸初期に大坂城再建のための石垣用に切り出されながら使われず、京都府木津川市の木津川流域に残された「残念石」を、2025年大阪・関西万博会場のトイレの建物の柱に使う計画が波紋を広げている。専門家からは「文化財保護の観点から不適切」との声も。400年の時を経た残念石の価値を今に生かす方策とは。(安藤恭子)
原著の刊行は71年、当時の部落解放同盟書記長の中山氏とともに長野県内の被差別部落の古老たちを訪れて聞きとり調査したもので、現代よりずっと差別が苛烈で激しかった時代や大正デモクラシーの波にのった解放運動の記憶もまだ生々しく覚えている人が多く、本当に大変貴重な証言ばかりだった。 (まず基礎知識ですけど、部落をよく知らない人はなんとなくイメージで、関西にしか無い、関東は関係ないと漠然と思っている人が多いみたいですが(私もそうでした)葬儀や処刑人、農村で使ってる牛馬の解体処理など死に関わる仕事(ケガレの仕事)全般を請け負っているので、基本的にどこにでもある(最北端は旧松前藩あたり、最南端は奄美大島らしい)。私も北海道には存在しないと思っていたが間違いのようです)(被差別部落の中でも同和事業を適用される同和指定地区をうけなかった地区も多いのがこのような認識を生んだ理由でしょうか) この本はまず信仰の
空襲の安全神話 1枚の写真をご覧いただきたい。 畳の上に炎があり、男女3人が水をまいている。昭和13年に東部軍司令部の監修で作られた12枚組ポスターの一つで、今でいう政府広報である。表題には「落下した焼夷弾の処理」とある。 それにしても不思議な光景である。屋根を突き破って落ちてきた割には弱々しい炎。天井や畳は燃えていない。焼夷弾の間近に迫って怖くないのか。アメリカ軍の焼夷弾はその程度のものなのか。一杯目のバケツで水をかけた後は、一体どうするのか。この一つの炎のために次々とバケツリレーをするのか。謎が深まる。 もう1枚。同じ12枚組の1つである。 ショベルの先に小さな「焼夷弾」らしき物体があり、「折よくば戸外に投出せ」と書かれている。こちらも、畳や障子はまったく無傷である。 こんな対処法が可能とは思えない。実戦で使用された焼夷弾は、発火装置と燃焼剤が一体となっており、投下されると数十メートル
歴史のない社会でどう「公共」を教えるか?與那覇潤インタビュー 教育図書「公共」教科書の監修者、與那覇潤さんのインタビュー記事をお届けします。與那覇潤さんは第1章「公共の扉」の冒頭、公共哲学、倫理の分野の監修をご担当いただきました。歴史学者としての活躍で知られる與那覇さんならではの視点から、「公共」という新科目が担う役割を語っていただきました。 コロナ禍が示した「原発事故も忘れる社会」 「公共」は本来、「現代社会」の後継科目ですよね。しかし出来上がった教科書を拝見して、むしろ「歴史」を教える際の新しいモデルにもなっているのではないか、という印象を持ちました。 歴史教育というものは、過去から未来へと続く「一貫性」の感覚なしにはあり得ません。つまり古代からずっと続く人類の歩み、ないし日本史であれば日本人の歩みの中で自分たちが生まれて、今後ともその歩みを続けていくのだ、という前提がなければ、「昔の
国立歴史民俗博物館で企画展示として開催されている『性差(ジェンダー)の日本史』展に行ってきました。結論、久々に感動を覚えるほど常識を揺るがされ、良質な不快感を生み出し、自らの不知を恥じ、また一歩、過去の囚われから解放される契機となったため、ぜひ多くの方に足を運んでいただきたいと思い、扉までの案内人を務めたいと思います。 遠さの絶望は、心地よい違和感と向き合う時間に大変失礼ながら、私は電車の中吊り広告でこの企画展を知った10月初旬、こんな罰当たりなツイートをしていました。 『性差(ジェンダー)の日本史』という物凄い惹かれるテーマ展示の中吊り広告を見つけて、絶対行こうと思ったら、なんとこの国立歴史民俗博物館、都内の最寄駅(代々木)から約2時間…。流石にこれは足が重くなる…。Web展示とかVR展示してくれませんか(号泣) pic.twitter.com/V5CqNP2QuV — とんふぃ@スマニ
ことし4月、政府が「従軍慰安婦」という用語は誤解を招くおそれがあるとして、「慰安婦」という用語を用いることが適切だとする閣議決定をしたことを受け、文部科学省が社会科の教科書を発行する会社に対し記述の訂正申請に関する異例の説明会を開いていたことがわかりました。 政府はことし4月、慰安婦問題をめぐり「従軍慰安婦」という用語を用いることは誤解を招くおそれがあるとして「慰安婦」という用語を用いることや、太平洋戦争中の「徴用」をめぐって、「強制連行」や「連行」ではなく「徴用」を用いることが適切だとする答弁書を閣議決定しました。 これを受け文部科学省は先月、中学の社会科や高校の地理歴史、公民科の教科書を発行する会社を対象にオンラインで説明会を開催し、15社の担当者が参加する中、閣議決定された見解について説明したということです。 教科書の記述をめぐっては、2014年の検定基準の改正で歴史や公民などで政府
本当にはてなユーザーは自国の歴史を知ろうとしないな。 他増田の言うとおり、昭和から平成初期の日本は、まんま施設主義だったんだよ(まあ欧米もそうだが)。 「府中療育センター闘争」とかご存じない? 入所者は今のウイグル民族ばりに虐待されてたよ? 映像資料もあるけど? ま、十年後には歴史の闇に消えてるかもね。 で、その虐待はどうやって救われたと思う? 利用者自身がハンガーストライキをする事で問題視されたんだよね。つまり障害者自身で立ち上がったわけ。日本って優しいしすぐれてるなあ。 しかも、府中療育センターなんて氷山の一角、昭和以前は障害者虐待の時代だった。施設だけじゃないよ。精神障害者ってだけで爆弾の振る監視穴?にぶっこまれたり(NHKで見た)。視覚障害ってだけで子供の頃から納屋に隔離されて毎日木製バットで殴られたり(知り合いのおじいに聞いた。おじいは成長して東京に出た。工場で務めて何とか生き抜
田中正造の評伝。 田中正造は、幕末に栃木県の小中村(現 栃木県佐野市)の百姓の家に生まれる。百姓といっても名主を務めるような家で、父の跡を継いで名主になり、正造はこの小さな村の名主を12年務めた。 彼は小中村の「政治」に責任を負って、藩レベルの政治とは異質のまとめ役をこなした。それは、自治的な慣行や寄合における合意を尊重する、ボトムアップ式のものだった。彼は名主ではあったが身分意識は薄く、村人の代表として領主との対立を辞さず、領内7ヶ村の農民の抵抗運動を組織して、暗君(失政の領主)を退陣させる実績を残した。そのために正造は投獄されたが、これが、権力に決して屈しない、正造の戦いの始まりだった。 正造は、明治11年に政治に一身を捧げようと決心する。きっかけは、土地の投機に成功して3千円という大金を手に入れたことだった。この金は正造に「公共のために尽くす自由」を与えた。正造は、なんと35年間の予
※この旧版になります。完全版は無料でnoteで公開中ですので、是非そちらの方をご覧下さい。 https://note.com/syosin_kai/n/nb97f2a0a193a ちょっとゲームの歴史をかじったことがある人なら聞いたことがあるだろう言葉『初心会』。 とにかくこの言葉へのイメージは最悪だ。「真っ黒組織」「ゲームヤクザ」「歴史の闇」「悪の秘密結社」etcetc。 そんな初心会だが、はたしてどれだけの人が正確に初心会とはなんなのか、どのような悪どいことをしてきたのか、そして最後はどういうふうに消えていったかを語ることができるだろうか? おそらく、ほとんどいないのではないだろうか。 この初心会について、私が調べたことをゲームの流通の歴史を絡めてまとめて書き出すぞ。これで君も初心会マスターだ! ちょっと長いけど勘弁な! まずは初心会そのものについての解説だ。 もともとの任天堂は花札屋
ここに、幼稚園から小学四年生まで、通学して授業を受けてたよ。 (炭坑の閉山で引っ越した) (親父は、もっと山の上の、常盤小学校の教師をやってた) >沼東小学校 https://t.co/iSbGlAxTcG https://t.co/E7bVMANWnq
──本当にあれでいいんだろうか? 帰路、雨の道央道をレンタカーでひた走りながら、そんな思いが消えなかった。この日、私が行ったのは、今年7月12日に開業したばかりのウポポイ(民族共生象徴空間)である。 ウポポイとはアイヌ語で「(大勢で)歌うこと」を意味する。北海道白老町のポロト湖畔に新設された国立アイヌ民族博物館を核とする「アイヌ文化の復興・発展の拠点」だ。 盛大にオープンした北海道の“目玉施設” 盛んにテレビCMが流れているので、名前くらいは聞いたことがある人も多いだろう。新型コロナ流行の影響で、4月のオープンが7月にズレ込んだものの、今年の北海道にとっては最大の話題のひとつである。 私は中華圏が専門のライターであり、アイヌの知識は通り一遍の範囲にとどまる。ただ、仕事柄、ウイグルやチベットといった中国の少数民族問題に直面することは多い。学生時代の専門分野の関係もあって、先住民や少数民族への
「私は台湾人」。東西冷戦を体験した東欧チェコの上院議長の演説は、ベルリンの歴史を踏まえた含蓄ある言葉で、台湾への連帯を表明する内容でした↓ ■チェコ上院議長、台湾を初訪問 背景に中国への反発:朝日新聞デジタル https://t.co/GvmdWOjBW5— 西本秀 (@xibenxiu) 2020年9月1日 先に触れた「私は台湾人」という言葉は、1963年、ケネディ米大統領が東西冷戦下の西ベルリンを訪問して「私はベルリン市民だ」と語ったエピソードを踏まえています。以下は台湾の報道です↓ 維特齊立法院演講 用中文說「我是台灣人」[影]|政治 | 重點新聞 | 中央社 CNAhttps://t.co/Y34HGp8Xdm— 西本秀 (@xibenxiu) 2020年9月1日 日本の新聞各社、「私は台湾人だ」のキーフレーズを見出しに使わないの、読者を低く見ているのか、デスクに歴史的な視野がない
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