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thoughtに関するrgfxのブックマーク (25)

  • クソコラは革命的だったのか? ボリス・グロイス『全体芸術様式スターリン』読書会その2(【闇の自己啓発】アート編)|江永泉

    グロイス:つまり記憶と忘却の間ということだね。そしてこれはどうしても決して退けることはできない決定的な死の神秘だ。 カバコフ:そう、怪奇だ。消滅の怪奇。生そのものが消滅の怪奇なんじゃないかな?この血の繋がりのない物に関してためらう瞬間に、ぼくは半分神として、それの運命を決定する。そしてぼくは自分の運命を決める。ぼくは思い出がぼくの机の引き出しの中で生き続けることを決めることができるし、それを汚水の桶の中に入れて運び出し、消すこともできる。ぼくはこの物の主人だけれども、この物に美術館で生を与え、永遠もしくは反対に死を贈る出来事の奴隷でもある。 グロイス:今日、われわれは保存か廃棄かのあらゆる基準を欠いている。 カバコフ:これはまさに現代美術館だ。 (太字強調は引用者)開催日は2021年6月ですが、例により加筆修正等で一部の時空が歪んでいます。ご寛恕ください。 第2章凡例:ボリス・グロイス(亀

    クソコラは革命的だったのか? ボリス・グロイス『全体芸術様式スターリン』読書会その2(【闇の自己啓発】アート編)|江永泉
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    rgfx 2021/12/27
  • これは水です。 | quipped

    (訳注:2008年に急逝したアメリカの作家David Foster Wallaceが2005年にKenyon大学でした卒業スピーチです。個人的には同年のStanfordでのSteve Jobsの卒業スピーチより、遥かに奥深く、かつタメになると思うのですが、あまり知られていないようですし、訳されていないので、自分でやることにしました。以下が拙訳です。) もし発汗1したい人がいるなら、どうぞお好きなようにしてくださいな。多分ぼくもします。てかする...こんにちはーおめでとーKenyon大学2005年度の卒業生のみなさん。2匹の若いサカナが泳いでおり、逆方向に泳ぐ年上のサカナに会いました。すれ違い様、年上のサカナはこう言いました。「おはよう少年たち。今日の水はどうかね。」2匹のサカナは特に気にもとめず、しばらく泳いでから、顔を見合わせて言いました。「てか水って何?」 今の話は、米国の卒業スピーチ

    これは水です。 | quipped
  • 『ビルドの説』 - kayamatetsu

    『ビルドの説』 まんがの内容…今まで生活拠点じゃなかったところから生活を構築する「ビルド」過程を愛するタイプの人は、自然とその術に長けてゆく。観光ではなく生活をおこなう海外滞在を、パスポート取得や貯金過程から描いてゆく。 最終更新:2018/12/06 (B)「おまけカード」を更新しました。 もくじ >> (0)プロローグ >> (1)ビルドとは >> (2)生活目的の旅 >> (3)時間とお金 >> (4)時間とお金以外 >> (5)環境のシード値 >> (6)精神 >> (7)ゴールドマンの友人 >> (8)ゴールドマンの友人友人 >> (9)パネルの会 >> (A)ドロワドロワ >> (B)おまけカード ここから先は執筆中

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    rgfx 2018/07/21
    やべえおもろい。
  • バラバラに切り刻みこまれた言説が意味が空っぽの器をつくる: DESIGN IT! w/LOVE

    物事を総合的な視点で見ようとせず、ディテールばかりを見て論じてしまうがゆえに、議論が空虚なものになることは少なくない。議論されている全体を理解できないがゆえ、自分で見えている断片だけを取り上げて、そこだけから全体の評価を行おうとしたりする会話が多くなればなるほど、議論は無意味なほうに進む。 複数人の議論だけではなく、個人の思考においても、全体を見ずに、断片的に切り取った部分の集積だけで云々すると、訳のわからない妄想が生まれがちだ。もちろん、それをあえて文脈を外してスペキュラティブな問いを生み出そうとしているなどの意思があれば全然別の話なのであるが。 そんなことをロザリー・L・コリーの『シェイクスピアの生ける芸術』のこんな記述を読みながら思いだした。 文脈から切り離すことは、文脈を消滅させることと同じく、秩序正しい真実あれこれを壊すのに有効である。 ロザリー・L・コリー『シェイクスピアの生け

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    rgfx 2017/12/08
  • 思考の歴史というものを考えてみたい(前編:中世、そして、15-16世紀): DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 何のためかはひとまず置いておいて、先日、ふと思い立って、15世紀から19世紀にかけての芸術や科学にまつわる歴史的な出来事を中心に気になるトピックをポストイットに書き出し、並べてみるという1人ワークをやってみた。 やってみると、やはり面白いものでいくつか時代の変換点といえる地点が見えたり見えなかったりしたので、今回はそれをざくっとまとめてみる。 中世まではまずは、対象外としての中世から。 「15世紀から19世紀にかけて」という視点では対象外なので、ほんと、思いつくまま、こんな特徴をあげてみた 中世の部屋はほとんど家具がなかった印刷以前、オリジナルの著作はなく、をつくることはモザイクの作成だった人は旅をするようになった このリストの最初にあげた「家具がなかった」という話はマク

    思考の歴史というものを考えてみたい(前編:中世、そして、15-16世紀): DESIGN IT! w/LOVE
  • 会ったこともないお方をどうして信じられるのだろう

    私がキリスト教徒に対していつも不思議に思っているのは、会ったことのないイエスという存在をどうしてキリストだと信じられるのだろうか、ということだ。 神を信じるということであれば、まだ出会う(もしくは感じる)体験を通して達成されるということが想像できる。でも、イエスは歴史上のある特定の時代に生きていた人物であって、その人に出会うことはできない。 さらにいえば、その一般的なキリストの視覚的イメージはヨーロッパで生み出されたもので、来のイエスその人の姿とは大きく異る可能性が高い。キリスト教徒がイエスに出会えるのはただ聖書の中でしかない。 まずイエスという人をイメージできなければ、三位一体を信じることはできない。それならば神を信じるということもキリスト教の教義的にはできないということになる。 イエスをキリストとして信じ、神の位格のひとつであることを信じるというこの凄まじく難しい行為をキリスト教徒は

    会ったこともないお方をどうして信じられるのだろう
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    rgfx 2014/08/29
    んー。「キリストを信じてる」というのと「認知のフレームワークにキリストを用いること」というのが混ざるんだろうなあ。
  • 視点・論点 「ハンナ・アーレントと"悪の凡庸さ"」 | 視点・論点 | 解説委員室:NHK

    フェリス女学院大学教授 矢野久美子 今から50年ほど前の1960年代前半、ナチスの犯罪をめぐる裁判レポートが、大きな論争を引き起しました。これからお話しするのは、その裁判レポートの著者が何を語ろうとしたのか、ということについてです。 1906年にドイツに生まれたユダヤ人女性で、政治哲学者です。彼女は、ヒトラーの反ユダヤ主義政策によって、ドイツから脱出せざるをえなくなり、1933年にパリに亡命しました。しかし、第二次世界大戦によってフランスで生きることも危うくなり、アメリカ合衆国へと避難し、そこで1945年の終戦を迎えます。 ナチスの全体主義政権下では、ユダヤ人をはじめとする大量の人間が、強制収容所やガス室をともなう絶滅収容所で、生きる価値を奪われ意味なく殺戮されるという事態が起こりました。人間を無用のものとするような言語道断の国家犯罪がなぜ起こったのか、どのようにして起こったのか。こうし

    視点・論点 「ハンナ・アーレントと"悪の凡庸さ"」 | 視点・論点 | 解説委員室:NHK
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    rgfx 2014/06/28
    「彼女の事例は、表層的になった(=チャラい)社会のなかで自立した思考が孤立した時の、生きることの過酷さ、思考が要求する勇気の量、を表しています。」周りに頼れず、自分で考える・生き延びることの苛酷さ。
  • 猫の餌やり婆になって感じたこと

    去年正社員の仕事を辞めて、パート職になった。お休みがきちんととれて平日の夕方には自宅に帰れる生活は以前とは比べようも無い位に快適だったけど、そのうち時間をもてあましてしまい、何かボランティアをしてみようと思い立った。 市役所のメルマガから動物愛護のボランティア情報を見つけて連絡したのは、が好きなのにアレルギーで飼えないから。せめて外でを撫でくりまわして溜まりに溜まった欲を発散させようと思ったのだ。 その団体はもう20年近く、この町の犬との保護活動をやっているそうで、保護した犬の散歩や野良(地域と言うらしい)への餌やり、避妊手術、あとは定期的に開くバザーの手伝い(色々なものが寄付で集まるので、2ヶ月に1回くらいやっている)などが主なボランティアの内容だった。もちろん、保護した動物たちの里親募集もやっていたけど、それは一時預かりができるボランティアさんたちが担当しているらしく、私

    猫の餌やり婆になって感じたこと
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    rgfx 2013/04/13
    NIMBYの当事者になること。
  • 渡辺雅子(2006)「日米仏の思考表現スタイルを比較する──3か国の言語教育を読み解く」 - BERD 6号

    入試科目にもなる情報は「学習の基盤」 大学入試センター試験に代わって導入される「大学入学共通テスト」について、今の小学6年生が受験する2024年度(25年1月実施)から、新科目の「情報I」を出題することが、政府の方針として確認されました。 教育

  • すらすらわかる内部留保(笑)と共産主義の本質。

    ときどき思い出したように再開される内部留保(笑)に関する煽りから思い出す、共産主義の質とは。 我々の社会の不完全性の表れ?

    すらすらわかる内部留保(笑)と共産主義の本質。
  • 思想史的にオウムを読み解くと・・・ - 美徳の不幸 part 2

    今日は年度最後の某会議があり、その後研究室で、最近出た後輩大田君のを一気読み。 オウム真理教の精神史―ロマン主義・全体主義・原理主義 作者: 大田俊寛出版社/メーカー: 春秋社発売日: 2011/03/01メディア: 単行購入: 61人 クリック: 1,271回この商品を含むブログ (29件) を見る元々、グノーシス主義の研究者の大田君がどんな形で読み解くのかな、と興味を持って読んだのだが、内容としては副題にある通り、「宗教」「死」を遠ざけた近代が(必然的に)生み出した「ロマン主義(そういえば大田君は前著『グノーシス主義の思想―“父”というフィクション』で、ロマン主義的なグノーシス理解を批判していたな)」「全体主義」「原理主義(大田君は原理主義といっても、ほとんど「終末論」に重ねて論じているようにも感じたが)」という三つの潮流(鬼子)が混じり合って(特殊日的な状況も加味されて)、オウ

    思想史的にオウムを読み解くと・・・ - 美徳の不幸 part 2
  • 近未来思考システムZETUBOU - 表道具

    俺がまともにものを考えて言えるようになったとき、既にソーシャルメディアは存在した。割と難しい、日常生活以外の問題に関して、専門家でなくても、専門家がいても自由に議論をできる環境だ。まあ俺も新しいものや今議論の渦中にあるものにはいろいろ飛び込んで来たが、割と絶望している。 結局専門家以外が集まったところで、できるのはせいぜい知識を共有して各人が実行に移すことくらいで、まあそれはその世界を広げるのに重要なんだけど、何かクリティカルな部分、例えば、高度に依存しているが不安定な要素があったり、2つ概念があったらその2つの間が不特定だったり、そういう部分に関して何の答えも与えることができない。できたところを見たことがない。せいぜい専門家の割と距離を置いた回答を共有するくらいだ。 まあ、割といろいろ考えてそうな有望そうな人はいて、クリティカルな問題こそ避けているがいろいろ新しい発想が出たり、問題を掘り

    近未来思考システムZETUBOU - 表道具
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    rgfx 2011/01/19
    りみくす@クリ島の自分しかわからないこと書こうよトピを思い出した / evernoteはその点便利。
  • 『創るセンス工作の思考』:紙魚:So-netブログ

    ・「技術の凄さ」とは、説明することが難しい。凄さを感じるだけでも、ある程度の技量が要求されるものだ。 ・250Vの感電を経験したことがあるが、幸運なことに死なずに済んだ。今でもそのときのことをよく覚えているので、真空管のアンプなどを作って、電源を入れて回路各部の電圧を確かめたりするときには、手袋をして、もの凄く慎重になる。子供のときの失敗は一生効き目があるようだ。 ・誰か工作をしている子供がいるだろうか? プラモデルでさえすっかり廃れてしまった。作っているのは、かつて少年だったオタクなおじさんだけである。 ・新しいメディアが登場すると、すべてが目新しいし、これまで存在したあらゆる「楽しさ」を採り入れるだけで、しばらくは商売になる。 ・技術者は専門分野によって細分化され、スペシャリストを産み出すことになったけれど、逆に、オールラウンドに通用するような技術はもはや存在しない。 ・根底にあるのは

  • クーリエ連載;エコノミスト紹介、自由のためなら人が死んでもいい

    (『クーリエジャポン』2007/12号 #38) 山形浩生 この連載の開始時に、『エコノミスト』がえらいのはかれらにちゃんとした主張があるからだ、と述べた。多くのメディアは、たとえば朝日新聞や『諸君!』などのように明らかに特定の立場がある場合ですら、客観公正中立というポーズを一応は保とうとする。自分の立場や主張をきちんと述べることはない。 そしてまた、それは当のメディアにとってもよいことなのかもしれない。一部の新聞には「社説」という欄があって、自分たちの立場を一応は表明しようとしている。でもそこに書かれるのは通常はその新聞の中で最もどうしようもない駄文で、まともな理屈もなければろくに勉強した形跡もない、単なる年寄りの変な思いこみが書かれているだけのケースが多い。 だが、この雑誌はちがう。それを如実に見せつけたのが、次の一文だった。 自由の当のコスト 「やつらはわれわれの自由を憎んでいるん

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    rgfx 2010/05/26
    この記事読んで初めてamen = so be itなのを知った。「然り」とか「斯様にあらしめ給え」って、モノは言いようということなのかな。
  • 山水思想―「負」の想像力/松岡正剛: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 「日画の将来はどうなるんだ」 「ぼくはもう一度、雪舟から等伯への道程をたどってみたかった」 そんな1970年に亡くなった日画家・横山操の最期の言葉を出発点として『山水思想―「負」の想像力』というは、「雪舟から等伯への道程」を追いながら、中国から渡来した水墨画がいかにして日の水墨画となったのかを問います。そして、そもそも中国における水墨画において「山水」とは何であり、日はそれをどう日の山水に変換したのかと、日における山水画の変遷を辿ります。 とはいえ、ここでの「日画」の「画」の部分は何に置き換えて読んでもいいと思います。日デザインでも、日製品でも、日ITでも、日技術でも、日のブランドでも。いや、そう置き換えて読むことができるかどうかがこのを読む

  • リバーズ・エッジ 分析 - 「現代と社会システム」第06回 2004/11/08 - SFC-GC

  • 「相手が自動人形に変じたならば、恋する人はひとりぼっちになる」:日経ビジネスオンライン

    気になる記事をスクラップできます。保存した記事は、マイページでスマホ、タブレットからでもご確認頂けます。※会員限定 無料会員登録 詳細 | ログイン 約束には大きく分けて3つの形がある。最初はごくゆるい個人的な決まりの水準で発生する。毎日1万歩以上歩くことを自分に約束するといったぐあいだ。ここでは自分との間で対話がある。「君、ちゃんと歩くんだよ」という命令とも、要請ともつかぬ問いかけに、「うん、歩くとも」と約束するのである。ぼくたちはつねに自己との間でこうした会話をつづけているものであり、誰もほんとうの意味で「一人」である人はいない。 しかし実は自己との約束というのは、矛盾した言葉である。自己との約束は、約束にはならないからである。気分が変わったら、それでおしまいだからだ。散歩のことはすっかり忘れてしまっても、当分はそれを咎める者はいなくなっているからである(もっとも後で、ほら、約束したじ

    「相手が自動人形に変じたならば、恋する人はひとりぼっちになる」:日経ビジネスオンライン
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    rgfx 2010/03/04
  • また君か。@d.hatena - 押忍!闘え!応援団(←誰に?誰が?誰を?)

    「押忍!闘え!応援団」を遊んでいて漠然と思い浮かんだよしなしごとをとりとめなくメモ。 世界と物語 beatmania には世界自体存在しない。画面は壁である。ゲームは画面を含むこちら側で行われる。強いて挙げればプレイヤ自身がキャラクタだが、それはある意味当然のことで、そこに倒錯はない。 DDR には画面の向こう側が一応ある。けどキャラクタはゲームと同期していない。画面は窓である。ただ居るだけ。特に進歩と呼べるものはない。そんなつもりもなかったろう。べつにそこを掘り下げてどうというようなゲームではなかったし。 スペースチャンネル 5 には世界がある。うららスター装置として働いている。うららはプレイヤ自身ではない。うららは相対している。その装置へ肯定的に参加してゆき、うららを好きになるのがゲームの遊びかた。 応援団は…複雑だ。もう十分にこのジャンルのゲームは開拓されているのだから、その後に出て

    また君か。@d.hatena - 押忍!闘え!応援団(←誰に?誰が?誰を?)
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    rgfx 2010/02/24
    "彼らはどうしようもないピンチに際して、応援団を呼ぶ。その覚悟が良い。自分でがんばる用意があるということだからだ。主人公は助けなど求めない。自分のことは自分でやる。やり遂げる。"
  • 読者諸賢! これがマネージャーの仕事だ | タイム・コンサルタントの日誌から

    1月。誰もがおめでたい正月気分の残る中、マネージャーは多忙な仕事を始める。会社を出て、新年の得意先回りに出かけるのだ。年もよろしくお願いします。昨年はお世話になり、とくに某の件ではいろいろご迷惑もおかけしましたが、今年は気を引き締めて進めますので、是非またよろしくお願いいたします。営業部員も同行するが、品質トラブルで嫌みを言われるのは技術屋の方だ。いずれにせよこの不況の中、一社でも顧客を逃したら今期の目標達成はあり得ない。もっとも訪問先の2人に1人は、業界の新年会に出かけていて不在だが。それでも名刺を置いてくるのが大事な仕事だ。 2月。昨年から続いていた仕事が製作段階に入って火を吹いた。基設計にミスがあったのだ。誰が設計書をチェックしたんだ! と叫びたい声をぐっと飲み込む。後ろ向きのことを言っても仕方がない。部下の責任はいずれ自分の責任だ。とにかく人を追加する算段を考えなければならない

    読者諸賢! これがマネージャーの仕事だ | タイム・コンサルタントの日誌から
  • ちょっと野暮なツッコミしとくかな - finalventの日記

    ちょっとだけ。 内樹先生⇒そんなことを訊かれても (内田樹の研究室) 資主義に対するもっともラディカルな批判はマルクスによるものだが、マルクスの主張は一言に尽くせば「万国のプロレタリア、団結せよ」という『共産党宣言』の言葉に要約される。 資主義に対する根底的批判の言葉が「資主義打倒」ではなく「貧しいもの弱いものは団結しなければならない」という遂行的なテーゼであったことを見落としてはならない。 「プロレタリア」というのは、生産手段を持たない労働者を指す。で、重要なのは、生産手段を持たないという点。これは、「貧しいもの」とはイコールではない。これがはっきりするのが、農民は生産手段を持つから社会主義革命の敵になること(農奴の問題はとりあえず捨象)。だから、スターリンは社会主義のために農民の大虐殺を行った。基的にマルクスの考えでは、社会主義への移行は、生産手段を持つ農民が生産手段を持たない