キャンセルカルチャーの本質は事実の歪曲と情報操作|小山晃弘(狂) @akihiro_koyama #note https://t.co/r8kQESa4LG
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清義明 @masterlow お〇ロ〇キ〇セ〇天皇、そのHNを見るのも汚らわしいという人がけっこういて、そういう意味で奴なりのゾーニングは効いていたと再確認。 2021-02-19 23:21:25 清義明 @masterlow しかし、この話は90年代悪趣味系サブカルの問題とも相通ずるものがあると今さら気づいた。 わたしがずっと引っかかり続けているのも、それが原因だ。 2021-02-19 23:23:26 清義明 @masterlow 90年代悪趣味系はアングラだから成立する一種のアイロニーだった。 その愛好者が自分たちがここなら大丈夫というところで、書いてる私も悪趣味、読んでいるあなたも悪趣味という共犯関係があって、はじめて成立するものだった。 もちろんそのルールが共有されている限りでは。 2021-02-19 23:33:03
宅八郎さんの死去・トランプの敗北・ポストモダニズムの終焉 「真実は存在せず、すべてが許される」時代をどう生きる 香山リカ 精神科医、立教大学現代心理学部教授 宅八郎さんが亡くなった、というニュースがネットを駆け巡った。享年・57歳。 「まだ若いのに」と言われる年齢だが、私は「そうか、彼ももうそんな年齢になっていたのか」と思った。 実は、私は彼を「宅八郎さん」とか、彼と直接の知り合いだった人がそう言っていたように「宅ちゃん」とかではなく、本名の「矢野くん」と呼ぶことが多かった。彼も私の本名で呼んでいた記憶がある。私たちはそれぞれがペンネームというか芸名というか、そういうものを持つ前からの知り合いだったのだ。 自分の昔ばなしで申し訳ないが、私は国立大学受験に失敗し、滑り込んだ私立医大になかなかなじむことができず、松岡正剛氏が率いていた出版社・工作舎やそこから分派した人たちの編集プロダクションな
2020年12月3日 宅八郎の訃報を知った。ご家族の話ではどうやら8月に脳出血で倒れ、そのまま還らぬ人となったらしい。 彼はミニコミ『東京おとなクラブ』のスタッフだった人で、本名を矢野守啓という。ぼくは同時期に刊行されていた歌謡曲ミニコミ『よい子の歌謡曲』のスタッフだった関係で、『東京おとなクラブ』の編集部にも出入りしていた。時期を考えると彼と知り合ったのは1985年くらいのはずだが、直接会って話をしたような記憶はない。 やがてぼくはフリーライターになって、下北沢に仕事場用のアパートを借りた。ある日、仕事もなく部屋でゴロゴロしていたら、彼から電話がかかってきた。そのとき彼は「覚えてますか、矢野です」と言い、ぼくは少し考えたのち「ああ、おとなクラブの!」と言った記憶がある。ということはやはり一度は会っているのだろう。 電話の要件は仕事の依頼だった。その頃の彼は『週刊SPA!』で仕事をしていて
今年8月に宅八郎さんがお亡くなりになったことが発表になりました。プラスチックスの大ファンで、一時はミュージシャンとして小山田圭吾くんたちとともに立花ハジメバンドのメンバーでもありました。DJとしても「宅ザイル」として、玄人を唸らせる選曲とトラックメイキングを見せる一面もありました。 — 熊谷朋哉 (@tomoyakumagai) December 3, 2020 Twitterのタイムラインに宅八郎氏が亡くなったと上がってきた。これは実は生きていて「宅八郎死亡説が流れた」なんてことになるネットの祭りなのかなと思った。しかし複数の人が同じ内容をツイートしているところを見ると、どうやら本当のようだ。 宅八郎は1990年に「オタク評論家」と言う肩書きでテレビに出始めた。1989年に幼女連続誘拐殺人事件があり「オタク」という呼称は蔑称の意味合いを強く含んでいる中での登場だった。 宅八郎を知ったのは
今年8月に宅八郎さんがお亡くなりになったことが発表になりました。プラスチックスの大ファンで、一時はミュージシャンとして小山田圭吾くんたちとともに立花ハジメバンドのメンバーでもありました。DJとしても「宅ザイル」として、玄人を唸らせ… https://t.co/ljpzjEuIKr
king-biscuit @kingbiscuitSIU still alive and well, mean good ol' school. twilog.org/kingbiscuitSIU king-biscuit.hatenadiary.com ASYLUM ☞ @KBiscuitii, @KBiscuitiii king-biscuit.hatenablog.com king-biscuit @kingbiscuitSIU 「おたく」と「サブカル」の違いが未だにわからない。 てか、どうしてそうまで違うものになった、されてしまったのかからして謎のまま。 別に何も困らないが。 2020-11-23 10:35:48
実話BUNKAタブー2023年7月号 5/16発売 通常毎月16日コンビニ・書店で発売 特別定価670円(税込) ▼性を売る女子と性を買うおっさんと性を売らせるホスト 歌舞伎町とSEX▼ジャニーズのメディア支配を崩壊させた文春の戦略▼いい人キャラHIKAKINは本当に聖人なのか▼秋篠宮家が国民から反感を買っている理由▼朝ドラ美女たちの性欲らんまん私生活▼日本がイジメ社会になったのはダウンタウンのせい▼山上徹也を英雄視したせいで岸田首相襲撃が起きたというデタラメを鈴木エイトが斬る▼売春相場の真相2023▼少子化対策の子育て世帯支援は無駄金なので今すぐ止めるべき▼任天堂VSソニー 圧倒的にソニーの勝ち▼ラーメンチェーン激マズ店決定戦▼富裕オタク暇空茜に直撃インタビュー ほか ●連載中『ロマン優光の好かれない力』は「田村淳と室井佑月が攻撃的すぎて心配」 実話BUNKA超タブー2023年5月号 コ
はてブで久しぶりに岡田斗司夫、唐沢俊一の名前を見た。 今現在、彼らへの言説はほとんど批判一色だ。自分も批判的に見ている。 しかし、かつて彼らの言説が支持されていた時代もたしかにあったのだ。90年代後半の、ある一時期に。 けれども、彼らの本をかつて熱心に読んでいたと口にする人はいない。 スレイヤーズのリスペクトを表明する人がいないのと一緒で、彼らの本を熱心に読んでいたってことは「恥ずかしい」ことなのだと思う。 しかし、ここは匿名ダイアリーなので、自分は書いてしまおう。 あれは90年代後半だった。自分は自意識を持て余していた。 アニメや漫画といったオタクコンテンツが好きなことに後ろ暗さを感じていた。 エヴァはヒットしたけれど、それだけで、オタクたちへの一般的な視線はまだまだ一段低く見る傾向が強かった。 自分は15歳で、クラスの端っこでオタク仲間と固まって学校生活を送っていた。 初めて缶コーヒー
comic-days.com 数週間前に、話題になった作品だ。批判意見や拒否反応も多い一方で、「共感できた」とか「実際に東京にいそうな人物をリアルに描けている」という肯定意見もちらほらと見かける。 わたしが最初に流し読みしたときには、あまりに赤裸々な内容から、逆に「主人公のような女性には本心では共感していない、別のポジションにいる作者が、皮肉や揶揄を込めて戯画的に描いた」タイプの作品であるように感じられてしまった。しかし、しっかり読んでみると、作者は明らかに主人公に共感しており、ある程度までは主人公と自分を同一視している作品であることも伝わってきた。つまりは、私小説的な作品であるのだろう。 女性にせよ男性にせよ、一部の人は20歳を過ぎていい年になっても「こじらせ」とか「面倒くささ」とかを抱えているものだ。特に、漫画や絵を描いたり文章を書いたり動画を作ったり音楽をしたりと、なんらかの形での"
いうまでもなく衝撃的だったこの作品に対して、流れてくる感想をちらちらと眺める。「趣味も合わない、話もすれ違う「ヒロくん」と一体どうしてみこは付き合えるの?」という”真っ当な”疑問や、「なぜ今の時代はヒロくん的な気の合わない男のような人としか出会いがないのか?」などの”良心的な”投げかけが目立つ。まあそりゃそうだなと納得する一方で、その度に違和感があった。 そのどれもが、程度の差はあれ、”「ヒロくん」という存在が彼女にとってネガティブなものである”ということが、前提にされているように見えたからだ。 それが、わからない。確かに、憧れの放送作家の伊藤さんに告白して、振られてしまったという意味では、みことヒロくんの関係の深まりには「失恋」が背景にあるわけだし、ヒロくんは、みこの「理想」とは裏腹な相手だといえるだろう。しかし、みこにとってヒロくんとの付き合いが、そんなにもネガティブなものに見えないの
1990年代サブカルチャーの中にいて、政見放送やカルト宗教を面白がっていた自分に、いまの自分は計り知れない嫌悪感を覚えている。あの頃の自分に言いたい。そのツケ、きっちり回ってくるよって。 https://t.co/kfxUW9nsHC
オタクが老害化したんじゃなくて、要するにダメサブカルがオタクに負けたって話じゃね? ここでいうダメサブカルっていうのは「オタクを見下しつつ、結局はアニメとかマンガとかを好きで消費してる奴」って感じで聞いてほしい。 まあ、オタクだけれど、自分はオタクじゃないとかいうやつ。 某尊師が、オタクとキモオタを分けて、「オタクはいいがキモオタはダメ」とか言ってたけれど、ああいうやつ。 要するにキモオタにダメサブカルが負けたんだよ。文化的に。 「キモオタ萌えキャラアニメなんかやってるからアニメはダメになる」 「ブヒブヒ泣いてる萌え豚とは違って俺はちゃんと文化的にアニメをとらえてる」 みたいなやつよりも、結局は好きなものを好きだといえる奴のほうが強かったんだよね。ほら、昔いたじゃん。美少女萌えの「ラブひな」とか「シスプリ」とかをやたら硬派ぶって毛嫌いして格好つけてる奴。で、「俺が好きなのはベルセルクだから
サブカルチャー。この言葉を聞いて思い浮かべるものは、恐らく人によって様々だろう。ひとつの社会における主流文化に対して、その社会の一部の人々によって共有される副次的な文化……というような意味合いが、この言葉の一般的な使われ方ではある。 ただ、戦後日本社会においては、サブカルチャーという言葉はある独特のニュアンスのなかで用いられてきたと私は考える。一言で言ってしまえば、それは文化の脱歴史化・非政治化とでも言うべき、「脱臭化」のニュアンスである。 私=コメカと相方であるパンスとで構成される批評ユニット「TVOD」による初の著作『ポスト・サブカル 焼け跡派』は、時代を象徴する様々なミュージシャン・アーテイストに言及し、戦後日本のサブカルチャーを取り巻く文化的な精神史を描くことを試みた本だ。そしてその精神史の探求は、先述したような「脱臭化」の作法を活用し消費社会的状況を謳歌した日本が、いつの間にか「
「セッちゃん」は、イラストレーター・映像作家の大島智子による、初めての長編まんが作品である。「誰とでも寝る女の子」である「セッちゃん」と、「誰にも興味を持てない男の子」である「あっくん」の物語。
パンス 電気グルーヴの現在。事件そのものについて現時点で言えることがあるとすれば、「全くたいしたことじゃないだろ!」ってだけ。これは僕の意見ね。 しかしこの事件を取り巻く状況については述べておきたい。ワイドショーなんかを見るとびっくりするようなバッシングが巻き起こってる。やり過ぎだと思う。それが日本の世間ってもんだという意見も分かるよ。だけど、なまじ身近な存在だったからこそ、抑圧の過剰さを強く実感しちゃうんだよね。発売自粛措置にも僕は反対。僕のなかでふつふつと、社会に対しての苛立ちが湧いてきてるんだよね……。 コメカ 電気グルーヴはその長い活動を通して、メジャーシーンとマイナーシーンのあわいを絶妙に渡り歩き続ける特異な「キャラクター」として在ったと思うんだけど、今回の出来事で彼らの「キャラクター」はまたこれまでと違う色合いを帯び始めた。まだそれがどこに着地するのかは分からないけども。ただね
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