abstract さても面妖な話である。今日も今日とて「政治を“語れない”」「こんなの日本だけ!」の声がきこえてくる。大坂なおみ騒動の時から特に強まったような気もするが、たとえばこんなのだ。 清春氏は、「その時にあるものに寄り添っていたらダメ、美しくない」「主流なものはロックではない。僕は反対側にいたい」という。ならば、「語りにくい空気の中でも、それに抵抗して語るのこそがロック」ということになるのではないか。 結局、彼のいっているのは「反体制という体制主義者」の言葉のようだ。彼は、もしかして、自己の適当に思いついた政治主張がひたすら賛美翼賛されていないと許せない人なんじゃないだろうか。私が何故そう感じたか理由を書いていく。 このように、この言論の自由が保障された日本で、「自由な発言ができない!」「物言えぬ社会!」「戦前の空気!」とか大騒ぎで悲憤慷慨するのはなぜなのか。彼らの心理機序と、彼ら