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ソーシャルアクションと知的障害と住まいに関するsca_fukushi-entryのブックマーク (2)

  • 福祉の潮流 | 知的障害者の施設をめぐって 第5回 最後の課題となった重症心身障害児・者1

    Webライターの木下です。 第5回は重症心身障害児・者施設の歴史についてです。 制度の谷間にいた重症心身障害児 1947年(昭和22)の「児童福祉法」によって「精神薄弱児施設」が急速に全国に設置され、その後1960年(昭和35)に制定された「精神薄弱者福祉法」により「精神薄弱者援護施設」の設置が始まり、児童も成人も含めて知的障害者の福祉施策は、徐々に整っていきました。しかし、重度の重複障害児は、つねにその処遇が後回しにされていました。 重度の重複障害児を表すのに、「重症心身障害児(重症児)」という言葉が使用されるようになったのは1958年(昭和33)からです。戦後まもなくは、その概念さえもなく、重度の肢体不自由と精神薄弱の両方がある重症児は、公教育からは排除され、医師からは治療は無意味とされました。さらに、肢体不自由児施設からは精神薄弱があるからと拒否され、精神薄弱児施設からは肢体不自由が

    福祉の潮流 | 知的障害者の施設をめぐって 第5回 最後の課題となった重症心身障害児・者1
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    sca_fukushi-entry 2017/01/28
    【今週のフクシ・エントリ!】“極限的な状況の中に投げ出されている人々の生命と自由を尊重し、そのことを通して社会に呼びかけ(略)「障害や欠陥があるからといって、つまはじきにする」社会を変革していく”
  • Connect-“多様性”の現場から | 障害者の暮らす場所 第3回 日本で最初の知的障害者施設・滝乃川学園-後編-

    Webライター木下です。後編も滝乃川学園・常務理事の米川覚さんの発言を中心にご紹介します。 「ここは入所型の施設ですが、最初からそれを目的としてきたのではなくて、目の前のニーズに対応する中で、そのように変わってきただけなのです。知的な障害があっても、地域で暮らすことを人が望んで、その条件が整うなら、それがいいに決まっています。いま成人部の入所施設には80人が暮らしていますが、うちが運営するグループホームには130人が暮らしています。施設の人数と地域で暮らす人数が逆転しているのです。そして、直営のグループホームで暮らす人の半分は重度の人たちです。地域で暮らせると判断したら、むしろ私たちは地域移行を奨励するようにしています」 知的障害者の親は、人が家族のもとや施設で暮らすことには理解を示しますが、自立して暮らすことには不安を抱く人が多いと言われています。米川さんたちがグループホームでの生活

    Connect-“多様性”の現場から | 障害者の暮らす場所 第3回 日本で最初の知的障害者施設・滝乃川学園-後編-
    sca_fukushi-entry
    sca_fukushi-entry 2016/10/22
    【今週のフクシ・エントリ!】“(入所者本人だけに任せるのはハードルは高いので)入所者をバックアップして、地域理解を広げていくのも、私たち施設職員の仕事のひとつ”
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