こども代表として6日の式典で「平和への誓い」を読み上げた広島市立牛田小6年の新開美織(みおり)さん(12)と、市立五日市東小6年の米広優陽(ゆうひ)さん(12)は、「未来に伝える」決意を誓いに込めた。 新開さんは、被爆10年後に白血病で亡くなった佐々木禎子さん(当時12)のことを本や証言で学び、「原爆の悲惨な記憶や平和への思いを伝えていきたい」と感じた。 米広さんは、慰霊碑を巡ったり被爆者の証言を聴いたりして、「これからは自分たちの世代が原爆の事実を語り継がないといけない」と思うようになった。 式典後、新開さんは「ゆっくりでもいいから、平和について受け継ぎ、つなぎ、語り継いでいきたい。きょうの誓いが、一人でも多くの人が平和について考えるきっかけになったらいい」と話した。(田中瞳子)
1945年8月6日。アメリカは広島市内に原子爆弾を投下した。強烈な熱線と爆風が襲い、爆心地近くの広島県産業奨励館(原爆ドーム)の外壁も吹き飛んだ。前を流れる元安川からは、今でも破片を見つけることができる。 いまだに遺骨がたくさん出る その引き上げ作業をしている学生団体「広島大学原爆瓦発送之会」の会長、嘉陽礼文さん(40=大学院生)が活動を始めたきっかけは、中学時代、被爆者のひとり、山岡ミチコさん(享年83)の話を聞いたことだった。 「東京から修学旅行に来たとき、山岡さんから被爆体験を聞きました。淡々とした話でしたが、原爆で亡くなった人たちの思いを一身に背負っているように感じ、逆に心にしみました」 沖縄県出身の嘉陽さんは、祖父母から沖縄戦の体験を聞いて育った。いまだ遺骨が見つからない親族もいる。山岡さんにそのことを告げると、「元安川には被爆瓦があります。遺骨もたくさん出ます」と教えてくれた。
平和宣言をする松井一実・広島市長=広島市中区の平和記念公園で2018年8月6日午前8時24分、久保玲撮影 広島は原爆投下から73回目の「原爆の日」を6日、迎えた。平和記念式典の平和宣言で松井一実・広島市長は核大国の抑止論を批判し、核兵器禁止条約を「核廃絶への一里塚」として、発効への取り組みを日本政府に求めた。しかし、安倍晋三首相は式典直後に禁止条約への不参加を改めて表明。被爆体験に立脚する被爆地と、国際社会の「現実論」を唱える政府との溝が浮き彫りになっている。 式典には被爆者や遺族ら約5万人が集い、核保有5大国からは中国を除く米露仏英が出席。原爆が投下された午前8時15分に1分間黙とうした。松井市長と遺族代表はこの1年に死亡した5393人の名前を記した死没者名簿を原爆慰霊碑に納め、名簿の人数は計31万4118人となった。
(CNN) 世界の子どもの半分以上は、紛争や貧困、あるいは女性に対する差別の危険にさらされている――。国際援助団体セーブ・ザ・チルドレンは、6月1日の「世界子どもの日」に合わせて発表した報告書で、そんな実態を明らかにした。 報告書によると、紛争、貧困、女性に対する差別の危険にさらされている子どもは推定12億人。そのうち1億5300万人は、この3つのリスク全てに脅かされている。 報告書では、「世界の子どもの半分以上は、女の子であるという理由で、貧しいという理由で、あるいは紛争地帯で育ったことによって、最初から人生が阻害されている」と指摘。人生を一変させ、子ども時代を奪いかねない出来事の一例として、早すぎる結婚、児童労働、栄養不良を挙げた。 子どもが死亡、栄養不良、教育の欠如、強制結婚、出産、労働などに直面している割合を国ごとに比較したランキングによると、子どもが守られている国の筆頭はシンガポ
「中国の侵略と琉球独立が進行中。地元新聞マスコミを含む左翼活動グループが主体です」「沖縄県の反戦平和運動はほとんどが偽物で、革命運動をカムフラージュするものです」 月曜午後の生放送「沖縄防衛情報局」では、冒頭からこんな言葉が語られる。 出演するのは「琉球新報、沖縄タイムスを正す県民・国民の会(正す会)」メンバーら。オキラジから週1回1時間の枠を買って放送。番組内では地元紙の記事を読み、批判する。 コミュニティーFMの放送範囲は市町村単位。オキラジの運営は社員1人とアルバイト3人だ。内容は音楽情報が多い。 情報局は2016年に沖縄県宜野湾市のコミュニティーFM局で始まり、県内の那覇市や浦添市、本部(もとぶ)町・伊江村に広がった。オキラジでは昨年始まった。社員の石川丈(たけし)さん(37)は「他局から紹介され、内容はその後に知った」と言う。 コミュニティーFMは「政治的に公平であること」「事実
長引く内戦に、米英仏の軍事介入もあり、戦火が続くシリア。静岡市内で家族と暮らす30代のシリア人男性が母国への支援を訴えている。シリアでは政権側と反体制側の戦闘が7年以上も続き、560万人以上が国外に逃れた。男性は「シリアはシリア人の国。介入する国はシリアのことを本当に思っているのか。苦しむシリア人を救ってほしい」と願っている。 男性はシリアにいる両親や兄弟らが、アサド政権に弾圧される恐れがあるとして匿名を条件に取材に応じた。
太平洋戦争末期、高射砲で迎撃され宮崎県沖の日向灘に墜落した米軍爆撃機B29の搭乗員の慰霊祭が命日の28日、宮崎空港(宮崎市)内の航空大学校であった。墜落死した米兵の遺族と、唯一生き残った元搭乗員が来日。約150人が参列して不戦を誓った。 米兵の遺族らが戦没地の訪問を希望していると知った宮崎市遺族連合会などが受け入れて実現した。 遺族連合会などによると墜落機はB29「サルボ・サリー」。1945年4月28日、旧日本海軍の赤江飛行場(現宮崎空港)の空襲に飛来したが、防空部隊の高射砲で撃墜された。搭乗員12人のうちジャック・キャノンさん(94)だけが米軍に救助されたという。 慰霊祭にはキャノンさんと遺族ら計5人が来日。昨年5月、遺族の1人が「戦死時の状況を知りたい」とインターネットで調べたところ、各地の空襲を記録した「青森空襲を記録する会」のホームページにサルボ・サリーの記載を見つけ、メールで連絡
◆著者・中村江里(なかむら・えり)さん (吉川弘文館・4968円) 闇に埋もれた「傷」掘り起こす 第二次世界大戦では、推計で日本人310万人が死んだ。命は取り留めたものの心に傷を負った人も相当数に上るはずだ。しかしその傷、病のありように光を当てる体系的な研究はなかった。本書は、歴史学研究に新たな画期をしるす労作だ。 最初に兵士の心の傷に関心を持ったのは高校生のころ。リポートでベトナム戦争について調べた。「そのとき見た写真集で、(米軍の)兵士の側も心に傷をのこすんだなあ」と印象に残った。折しも従軍慰安婦など「戦争が人間に及ぼす長期的な影響にぼんやり関心を持っていました」。上智大学に進み西洋史を学ぶ中、アウシュビッツの生還者が抱えていた傷を知った。阪神淡路大震災の影響もあって、日本でもトラウマに関する研究に注目…
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