全盲の少年が音楽ゲームの「リズム天国」シリーズをクリアし、任天堂に感謝を伝える手紙を書いたところ、その少年宛に返事が届いたというツイートが注目を集めています。 手紙を送ったのは、けんたろー(@kentarock1020)さんの長男で現在小学5年生の酒井響希(ひびき)くん。1歳半のとき、突然眼球に異変を感じた響希くんは病院で「両眼性網膜芽細胞腫」という約4万人に1人の確率で発生する小児がんと診断されます。そして主治医から「命を取るか」「両目を取るか」の選択を迫られた結果、家族で話し合い両眼の摘出手術を受け、2歳になってすぐに全盲に。そのため皆と同じようにゲームをしたいけど、できるゲームがほとんどなかったという響希くんが唯一楽しめるのがリズム天国でした。 響希くんは任天堂に送った手紙で「僕が唯一できたゲームがリズム天国です」と、みんなで一緒に楽しく遊べたことや、同ゲームのシリーズすべてをパーフ
「フィリピンで暮らす視覚障がい者の学習環境を改善したい」。この思いから、クラウドファンディング(不特定多数の人から資金を集めること)プロジェクトを立ち上げたNPO職員がいる。認定NPO 法人フリー・ザ・チルドレンの石田由香理さん(27)だ。石田さんは1歳3カ月のときに網膜芽細胞腫(眼球の中に発生する悪性腫瘍)で両眼を摘出し、全盲になった。 ■全盲になったら家族に捨てられた フィリピンの小学校入学率は96%だが、視覚障がい者に限ると95%は学校に通った経験すらないという。高校まで進む人は1%以下だ。「それどころか、地方になると、視覚障がい者の40%近くが障がいをもっていると分かった時点で家族から捨てられ、教会で育っている。障がい者は何もできないから教育を受けても仕方がない、とフィリピンでは思われている」と石田さんは話す。 石田さんは国際基督教大学(ICU)の学生だった2010年3月、フリー・
くりぬいた板の教材や発声訓練用の模型などを見る岡本明・筑波技術大名誉教授(左)と菊島良治・山梨県立盲学校校長=甲府市下飯田2の同校で2016年10月、後藤豪撮影 目と耳の両方が不自由な盲ろう児の教育を1950~60年代に、国内で初めて系統的に実践した山梨県立盲学校(甲府市)で、当時の資料のデータベース化が進められている。教材・教具、授業記録のほか、寮での生活記録などが詳細に残り、現在の盲ろう児教育の基礎となった先進的な取り組みの様子が分かる。劣化が進んでおり、関係者は「貴重な記録を後世に残したい」と話している。【後藤豪】 「はに わたを いれて きれいに する」「ぴんせっとを はえ(へ) いれる」
盲学校では国内5番目の開設で、早くから視覚障害者の教育に取り組んできた県立岐阜盲学校(岐阜市北野町)の創設者、森巻耳(けんじ、1855~1914)について、学校の児童生徒らがよりよく知ることができるようにと、同校が伝記を発行した。自らも失明しながら学校の開設に奔走した姿が、子どもたちにもわかりやすく描かれている。 巻耳は1855年、金沢市生まれ。87年に現在の岐阜高校の英語などの教師として赴任したが、翌年、33歳で眼病を患った。91年に岐阜、愛知などで7千人以上の死者が出た濃尾地震を機に視覚障害者の支援に力を注ぐようになり、94年に岐阜盲学校の前身「岐阜聖公会訓盲院」を開院し、初代校長となった。このころには巻耳自身も、両目ともに失明していた。 そんな巻耳の生涯を伝えようと、子ども向けに伝記をまとめたのが同校の図書館司書、小沢純子さん。1994年に発行された「岐阜盲学校百年史」などで巻耳の生
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